先日は、連れ合いの誕生日でした。子どもたちからいろんなプレゼントをもらっていました。上のこどもと彼女からは、絵本と手ぶくろ。下のこどもと彼女から、机の上の飾り物。とても喜んでいました。
次の日、ふと連れ合いの机を見ると、その絵本が置かれていました。子どもたちが本屋さんで選んで買ってきたとのこと。読んでみました。
「パパとママのおくりもの」という絵本でした。絵本は、心をうつものが多いです。
三頭のこぐま。いちばんめのおにいちゃん。にばんめのおねえちゃん。さんばんめのぼうや。同じ夜に生まれました。
おとうさんとおかあさんがみんなを寝かしつけるときに、
「おやすみ、せかいでいちばんかわいいこぐまたち。」
こぐまたちは、幸せに感じました。
しかし、あるときに、それぞれが心配になりました。
「ほんとうに、パパはじぶんをかわいくおもっているんだろうか。」
おにいちゃんは、
「ぼくだけ、くびのまわりがしろくないのに。」
おねえちゃんは、
「わたしだけ、おとこのこじゃないのに。」
ぼうやは、
「ぼくだけちびなのに。」
みんながおとうさんに、ききました。
「パパは、いちばんだれがすきなのかなあ。みんながいちばんになれないから。」
おとうさんは、
「なれる。」
といいました。
おにいちゃんにおとうさんは、
「おにいちゃんががうまれたとき、ママがいっていたよ。こんなかわいいおにいちゃんぐまをみたことがない。」
「しろいふちがなくても?」
「ふちなんてどうでもいいのさ。」
とおとうさんぐまは、おにいちゃんをだきしめながらいったのです。
おねえちゃんには、だきしめながら「おとのことでもおんなのこでもかんけいない。」ちびすけには、「おおきくてもちいさくてもおなじにあいしているよ。」とだきしめながらこたえています。
そして、「そうさ、きみたちみんながパパとママのたからものだよ。」
こどもたちは、しあわせいっぱいにねむりにおちていったのです。
何か、今の時代だからこそ、親子に大切なものをわずかな字数と絵の中で作者のサム・マクプラットニィは伝えてくれているのでしょう。
あたたかい陽の光をあびているかぎり、こどもたちもまっすぐに成長をしていくのでしょう。
次の日、ふと連れ合いの机を見ると、その絵本が置かれていました。子どもたちが本屋さんで選んで買ってきたとのこと。読んでみました。
「パパとママのおくりもの」という絵本でした。絵本は、心をうつものが多いです。
三頭のこぐま。いちばんめのおにいちゃん。にばんめのおねえちゃん。さんばんめのぼうや。同じ夜に生まれました。
おとうさんとおかあさんがみんなを寝かしつけるときに、
「おやすみ、せかいでいちばんかわいいこぐまたち。」
こぐまたちは、幸せに感じました。
しかし、あるときに、それぞれが心配になりました。
「ほんとうに、パパはじぶんをかわいくおもっているんだろうか。」
おにいちゃんは、
「ぼくだけ、くびのまわりがしろくないのに。」
おねえちゃんは、
「わたしだけ、おとこのこじゃないのに。」
ぼうやは、
「ぼくだけちびなのに。」
みんながおとうさんに、ききました。
「パパは、いちばんだれがすきなのかなあ。みんながいちばんになれないから。」
おとうさんは、
「なれる。」
といいました。
おにいちゃんにおとうさんは、
「おにいちゃんががうまれたとき、ママがいっていたよ。こんなかわいいおにいちゃんぐまをみたことがない。」
「しろいふちがなくても?」
「ふちなんてどうでもいいのさ。」
とおとうさんぐまは、おにいちゃんをだきしめながらいったのです。
おねえちゃんには、だきしめながら「おとのことでもおんなのこでもかんけいない。」ちびすけには、「おおきくてもちいさくてもおなじにあいしているよ。」とだきしめながらこたえています。
そして、「そうさ、きみたちみんながパパとママのたからものだよ。」
こどもたちは、しあわせいっぱいにねむりにおちていったのです。
何か、今の時代だからこそ、親子に大切なものをわずかな字数と絵の中で作者のサム・マクプラットニィは伝えてくれているのでしょう。
あたたかい陽の光をあびているかぎり、こどもたちもまっすぐに成長をしていくのでしょう。