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防御心・・・自戒から・・・

2012年12月11日 | Weblog
「ごめんね。」ちょっとあの時言えたなら
           もっといい時間(とき)過ごせたのかも





ちょっと、あの時、「ごめんね。」と謝っていたら、ちょっとあの時、言葉に出していたら・・・とあとになって悔やむことがあります。それは、中学生でも大人でも同じです。




どうしても自分が悪いと思っていても、自分を正当化しようとする心は誰しもが持ってしまいがちになります。わたし自身も気が強い方なので、こんな経験と後悔をよく持ちます。




例えば、だれかとけんかしたとします。相手が悪くても、悪いなりの言い分があると思って、それを察しながら対していく必要があります。相手が完全に悪いと謝罪した時、今度、こちらが折れないで突っ走ると相手は相手なりの言い分や隔たりを持つことになります。




正当化は、だれもが自分から物事を見ることになるので、その心理状態は自然の流れです。
そうなると、物事は解決しないことが多いです。




解決法です。相手と対峙してしまう前に、自分の方が明らかに非があると感じたなら、正当化する理由を作る前に、まただれかに責任を転嫁する前に、心から、
「すみません。」
「ごめんなさい。」
と謝罪することが解決法の一番です。
 それで終わることが多いです。




だけど・・・。




「ごめんなさい。だけど・・・。」
「すみません。でも・・・。」
と正当化を入れてきたときに、物事が複雑化してしまう可能性があります。言い争いになって、「あの時、おまえは・・・。」と違う過去のことまで、争いの土台に乗ってしまうという経験もよくあることでしょう。





言い分は言い分としてもまずは、そのもめごとの現実をいったん、解消させなければなりません。



被害的立場でも、逆に強く、「ごめんなさい。」「すみません。」と言わせることを強行してしまうと、かえって、また物事が混乱します。それは、相手にもプライドがあります。



強制することで、前述した正当化する本能が先に出てしまうことになり、悪いと思っても正当化した本能で相手とぶつかってしまいます。





早い話、悪いと思ったら、「ごめんなさい。」と一言心から言うことです。
「ごめんなさい。」・・・「次からは気をつけろよ。」
「ごめんなさい。」・・・「なにやってんだ。」
と怒られても、勇気を持って謝った方が、ほとんどのケースがこの時間だけで解決します。




まあ、謝る勇気とつらさは、誰か仲のいい友だちに愚痴を言ったり、気分を変えることをしながら、気持ちの整理をしたらいいと思います。無駄な争いの時間を省きたいものです。





思春期の生徒たちを見ると、時として、注意され突っ張って・・・という場面に出くわし、話が複雑になっていくケースも見かけます。こんな時間も成長する中で、それに気づくためのたいせつな時間なのかなと思うこともあります。




でも間違いなくシンプルな生き方をした方が、しあわせなたいせつなひとときを持つ時間も増えてくると思います。生徒たちには、いっぱいいい時間を過ごして欲しいと思います。




自戒も含めながら、毎日、いろんなドラマの中で、学びながら生活をしています。