
絆と希望感じたあの日

昨年の7月14日は、二回目の九州北部豪雨が発生しました。未曾有の大災害がおこりました。一回目の7月3日。ようやく片づいたところで二回目の豪雨。地域は、暗く沈んでいきました。多くのボランティアが訪れてくれて災害復旧を行っていきました。
一昨日は、若宮祇園が行われました。昨年、大水害でお宮の境内、社務所も川の水が襲ってきました。祇園のための道具が入れてある小屋は半壊状態で多くの道具が流されました。
6月から若宮祇園の準備を進めてきていましたが、中止せざるをえなくなりました。ここにもたくさんボランティアの方が入ってくれて、泥などをかきだしてくれました。
一年後、まさかの復興の祇園祭が再開されました。総会の資料を作っただけで、祭りの事前の準備にはほとんど出ることができませんでしたが、昨日は、ほぼ一日、祭りのスタッフとして活動しました。

夜のイベントには、琉球國祭り太鼓エイサーの人たち、歌手の方・・・神楽グループの方たちが駆けつけてくれました。夕方は、子ども神輿が地区を練り歩きました。地区全部を回りました。暑い暑い。汗がだらだら出ました。小学生もたくさん集まり、地区に笛や太鼓の音が鳴り響きました。
ひと息ついて、店の準備をしました。焼鳥屋を担当。ここも暑い、熱い。準備をしているときに、琉球國祭り太鼓の演奏が始まりました。勇壮な太鼓の音、動き、音楽と雰囲気が盛り上がりました。沖縄の音楽が境内に流れました。そして、BEGINの「三線の花」の曲に乗っての太鼓のステージ。

♪秋に泣き冬に耐え春に咲く 三線の花・・・♪
心に響くものがあり、焼き鳥のことも気になりながらも、ステージを見ながらグッとくるものがありました。復興と言う意味を込めてステージも太鼓のメンバーの方たちは演出をしてくれていました。今年は特別な意味のあるお祭りとなりました。地区に明るさと元気をもたらせてくれました。
夜の帳が降りてからたくさんの地区の方が集まってきました。焼き鳥、焼きそば、ビール・・・・などの店を出しました。小さな神社の小さな境内が人で埋め尽くされました。

会場は賑やかな会話、歓声、笑い声で響きました。歌手の方の歌、お神楽、うそ会(抽選会)とあっという間に楽しく時間が過ぎていきました。
お神楽は、偶然にも三光中学校の生徒が舞ってくれていました。
過疎化が進む中で、お祭りを継承していくのは難しく、運営をしている人たちの顔ぶれも変わりません。中心となって会を進めてくれる人たちに任せっぱなしになっているところもたくさんあります。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

しかし、微々たるところで地区の盛り上げの一端になればと思っています。
うそ会では「耶馬渓の米 10キロ」が当たりました。「まんがいい」と言ったところでしょうか。
片づけをして帰り着いたのが、夜中の12時ごろでした。疲れて朝までソファで寝てしまっていました。