昨日は、くじゅうサンホールというところで、大分県中学校の研究大会が行われました。
本年度は、竹田市開催地となります。もうこれで、最後の研究大会参加ということになります。

全体会と分科会で構成されている研究大会です。午後からは分科会でした。
分科会は、ちょっと、テーマは難しいのですが、
「多様化・複雑化した教育課題に対応できる教員の養成」
というテーマでした。
これから教員の年齢層も大きく変化してきます。人材育成を課題にした研修となりました。グループ討議などもあり、充実した研修となりました。
参加した分科会は、展望室で行われました。

座っているところから九重連山が見えます。とてもきれいでした。部屋から見える景色、素敵でしょう?
座っているところからもずっと眼前に久住山見える中での研修でした。分科会といい広がる景色といいちょっと贅沢な時間でした。

午前中は、開会行事と講演会が開かれました。講演会は、竹田市地域おこし協力隊として活躍をされている「小笠原順子」さんです。
テーマは『信じる力「人生で得た大切なもの』です。
講師は、2000年シドニーオリンピックに日本代表として出場した女性でもあります。

生き方そのものが「『社会を生き抜く力』『未来を切り拓く』を持っている気がします。」(小笠原さん談)です。
竹田市に移り住む前は、キリンビールに勤務していました。2015年大銀ドームで「サッカーキリンカップ」が開催された時、仕事で初めて大分の地を踏みます。
そこで、竹田市の方と縁ができました。そのことで家族みんなで竹田に移住するようになります。
これだけでも話に惹き込まれていきます。
◎失意のアトランタオリンピック予選敗退
〇選手として期待されていた小笠原さん。しかし、アトランタオリンピック選手選考会で予想外の展開。落選。オリンピックという夢が破れました。
〇環境をすべて変えていきます。これから強さの発揮です。「一生懸命にやることの素晴らしさを感じた。」所属先、指導者、一人暮らしなど環境をすべて変えていきます。所属先も種目のライバルのいる大学を選択しています。
〇練習もきつく苦しい。新しい環境になったので、以前のように可愛がられない。
「自分を保つために、必死に努力した。」
「甘え切っていた自分を変貌させることができた。」
その改革の中で、シドニーオリンピック出場に結び付きました。
小笠原さんは、3つのターニングポイントがあったと言います。
(1)シドニーオリンピック選手村でのけが
シドニーの選手村で腰を痛めます。出場も危ぶまれます。ここでいろんな方から言葉をもらいます。
父親から、
「最後まであきらめるな。自分を信じろ。」
この言葉が運気をいい方に変えていきます。日本代表トレーナーは、
「おこることすべてに意味がある。」
そこに運命を受け入れ、故障から立ち上がったたくさんの出逢いもありました。
(2)「君ならできると思うなあ」の言葉
大学4年生の時に、引退。自分で人生を描きたいというおもいからです。「ぜひ、うちに来て下さい。」という会社はすべて断り、入社試験を受けて回りました。
コーチだった、平井伯昌コーチから、「君ならできると思う。」という言葉に勇気づけられます。
100社受けてキリンビールだけ1社に内定。
試験前には、本を読み、映画を観て、人に会う中で、自己分析をしていきます。感じたこと、学んだことなどまとめていきました。
そのことが小笠原さんの中で、引き出しが増え、成長につなげていきました。
キリンビール入社は38名。・まとめる・発表ができる・輝いて見える・弁が立つなど劣等感がある中で、1年後、入社生のMVPになったのは、「君ならできる」という言葉が、気持ちの軸に存在していたからだと思います。

3つ目のターニングポイントです。
(3)病気・闘病です。
悪性の腫瘍が見つかります。これまでの経験がすべて生きます。それは、〇運命を受け入れる 〇新しい世界を怖がらない という気持ちです。生きるための選択肢として手術に臨んでいます。
そして、竹田市にやってきます。
「幸せにつながらないことはやめよう」
が病気・闘病の中での答えとなる行動に結びつきます。
「人を信じる力」「信じてもらえる力」「未来を信じる力」「自分を信じる力」が芽生えれば、「未来は拓かれ、生き抜くことができる」だろうと言います。その言葉には説得力があります。
そして、
「子どもたちの輝きを信じる力」につながると話を結んでいきました。
その思いで竹田市で子どもたちの輝きを求めて活動をしています。
「タケノハコ」という活動で地域支援・子育て支援活動。「タケハチシネマプロジェクト」など、型にはまらない発想豊かな活動を展開しています。
心の湧水が枯渇しそうな時代に大切なものを沸かしてくれているような気がします。
帰りは、先生方と雄大な九重連山を横目に見ながら、瀬の本、筋湯、宝泉寺、玖珠と車を走らせながら、戻っていきました。
充実した研修に参加することができました。
本年度は、竹田市開催地となります。もうこれで、最後の研究大会参加ということになります。

全体会と分科会で構成されている研究大会です。午後からは分科会でした。
分科会は、ちょっと、テーマは難しいのですが、
「多様化・複雑化した教育課題に対応できる教員の養成」
というテーマでした。
これから教員の年齢層も大きく変化してきます。人材育成を課題にした研修となりました。グループ討議などもあり、充実した研修となりました。
参加した分科会は、展望室で行われました。

座っているところから九重連山が見えます。とてもきれいでした。部屋から見える景色、素敵でしょう?
座っているところからもずっと眼前に久住山見える中での研修でした。分科会といい広がる景色といいちょっと贅沢な時間でした。

午前中は、開会行事と講演会が開かれました。講演会は、竹田市地域おこし協力隊として活躍をされている「小笠原順子」さんです。
テーマは『信じる力「人生で得た大切なもの』です。
講師は、2000年シドニーオリンピックに日本代表として出場した女性でもあります。

生き方そのものが「『社会を生き抜く力』『未来を切り拓く』を持っている気がします。」(小笠原さん談)です。
竹田市に移り住む前は、キリンビールに勤務していました。2015年大銀ドームで「サッカーキリンカップ」が開催された時、仕事で初めて大分の地を踏みます。
そこで、竹田市の方と縁ができました。そのことで家族みんなで竹田に移住するようになります。
これだけでも話に惹き込まれていきます。
◎失意のアトランタオリンピック予選敗退
〇選手として期待されていた小笠原さん。しかし、アトランタオリンピック選手選考会で予想外の展開。落選。オリンピックという夢が破れました。
〇環境をすべて変えていきます。これから強さの発揮です。「一生懸命にやることの素晴らしさを感じた。」所属先、指導者、一人暮らしなど環境をすべて変えていきます。所属先も種目のライバルのいる大学を選択しています。
〇練習もきつく苦しい。新しい環境になったので、以前のように可愛がられない。
「自分を保つために、必死に努力した。」
「甘え切っていた自分を変貌させることができた。」
その改革の中で、シドニーオリンピック出場に結び付きました。
小笠原さんは、3つのターニングポイントがあったと言います。
(1)シドニーオリンピック選手村でのけが
シドニーの選手村で腰を痛めます。出場も危ぶまれます。ここでいろんな方から言葉をもらいます。
父親から、
「最後まであきらめるな。自分を信じろ。」
この言葉が運気をいい方に変えていきます。日本代表トレーナーは、
「おこることすべてに意味がある。」
そこに運命を受け入れ、故障から立ち上がったたくさんの出逢いもありました。
(2)「君ならできると思うなあ」の言葉
大学4年生の時に、引退。自分で人生を描きたいというおもいからです。「ぜひ、うちに来て下さい。」という会社はすべて断り、入社試験を受けて回りました。
コーチだった、平井伯昌コーチから、「君ならできると思う。」という言葉に勇気づけられます。
100社受けてキリンビールだけ1社に内定。
試験前には、本を読み、映画を観て、人に会う中で、自己分析をしていきます。感じたこと、学んだことなどまとめていきました。
そのことが小笠原さんの中で、引き出しが増え、成長につなげていきました。
キリンビール入社は38名。・まとめる・発表ができる・輝いて見える・弁が立つなど劣等感がある中で、1年後、入社生のMVPになったのは、「君ならできる」という言葉が、気持ちの軸に存在していたからだと思います。

3つ目のターニングポイントです。
(3)病気・闘病です。
悪性の腫瘍が見つかります。これまでの経験がすべて生きます。それは、〇運命を受け入れる 〇新しい世界を怖がらない という気持ちです。生きるための選択肢として手術に臨んでいます。
そして、竹田市にやってきます。
「幸せにつながらないことはやめよう」
が病気・闘病の中での答えとなる行動に結びつきます。
「人を信じる力」「信じてもらえる力」「未来を信じる力」「自分を信じる力」が芽生えれば、「未来は拓かれ、生き抜くことができる」だろうと言います。その言葉には説得力があります。
そして、
「子どもたちの輝きを信じる力」につながると話を結んでいきました。
その思いで竹田市で子どもたちの輝きを求めて活動をしています。
「タケノハコ」という活動で地域支援・子育て支援活動。「タケハチシネマプロジェクト」など、型にはまらない発想豊かな活動を展開しています。
心の湧水が枯渇しそうな時代に大切なものを沸かしてくれているような気がします。
帰りは、先生方と雄大な九重連山を横目に見ながら、瀬の本、筋湯、宝泉寺、玖珠と車を走らせながら、戻っていきました。
充実した研修に参加することができました。