かったかくんのホームページ

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「父の誕生日」

2018年07月24日 | 大分県
炎暑、危険な暑さ、猛暑、異常な高温など今の気候をいろんな表現をしています。

とにかく暑いです。
日中にクーラーのかかった部屋から外に出ると、熱風が吹き付けてくるような感じがします。


今日は、父の誕生日です。
きっと父が生まれた時はこんなに暑くはなかったでしょう。



先日歌丸さんが亡くなりました。歌丸さんを見ていると、歌丸さんの体つきがとても父に似ていました。

晩年、父も酸素吸入をしていました。



部屋にいるときも、車に乗るときも、風呂に入るときも酸素ボンベなどが手放せないような状況でした。
それでも母や孫を連れて、ショッピングやかかりつけの病院に行っていました。


孫の勉強を教えたり、好きな俳句を投稿したりとポジティブに生活をしていました。

きっと苦しいことが多かったと思いますが、晩年は病気との闘いでした。



歌丸さんがよく酸素吸入をしながら、高座に上がっている姿を見るときに、父の姿とかぶることがありました。



父が亡くなって数日後、業者の方が、酸素吸入の器具などを引き取りに来ました。

長年父が使っていたので、器具がなくなることが寂しくも感じました。
父がみんなに見守られながら、息を引き取ったときに、酸素吸入のホースが外されました。いとこのKちゃんが、


「おじちゃん、やっとホースが外れたね。おつかれさま。おじちゃんもうホースをつけなくてもいいんだよ。」
と顔を近づけ、涙を流しながら話している姿が今でも心に残っています。



何度、
「息苦しい。」
ということで救急車で病院に搬送されて、入退院を繰り返したことでしょう。


家の父のベッドまで救急隊員が来て、担架に移されてから救急車に乗せられました。


家族みんなが、
「また家に戻ってきて。」
と手を合わせながら救急車を見送りました。
苦しそうに息をしていても、それでも弱音を吐くことがなかった父でした。



 
歌丸さんが、
「入退院を繰り返して、はいえんな(大変な)騒ぎになりました。」
と笑いで周りの人たちに状況を伝えていましたが、現実にはどんなつらい思いをして、日々を暮らしていたことでしょう。

そんなつらい状況の中でも「生きようとする心」が病気にまさっていました。


それほど、「命」は何ものにも変えることのできない、究極の尊厳のあるものだと感じます。


歌丸さんは最期まで落語家でしたが、父は、最期までプライドと威厳をもった存在感のある人でした。