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「一つの時代・・・野村さんの訃報」

2020年02月11日 | 大分県
今日の昼から、明治時代から昭和にかけて、鉱山を経営した蔵内次郎作さんの「旧蔵内邸」のおひな様に行きました。
 

建物・庭園とも時代の繁栄を感じさせる豪華絢爛なものです。
田園の中に時代の華やかさを感じさせます。



一時代を築いています。
 



さらに今日は、一時代を築いた人がお亡くなりになっています。
朝、ちょっと仕事をしていると、スマホに速報が入ってきました。
元プロ野球選手の野村克也さんの訃報です。
 



先日は、400勝投手の金田正一さんが亡くなりました。


そして、野村さんです。



幼い頃、金田さんの投げる真似をしたり、三冠王の野村さんの打つ真似をしたりしながら、神社などで野球を楽しみました。
高度成長時代、ブラウン管から、野球を通して、生活にエネルギーを与えてくれました。
 



国民にとっては、長嶋・王のONは、神的な人。
昭和の時代、長嶋・王・野村・・・子どもたちにとっては、あこがれの存在でした。
その一歩ひいたところで、しっかりと存在感をみせました。



野球が好きになったのも、この方々のプレーに魅せられたからです。
 


現役を引退しても、監督として、強いチームと次世代の選手を育て上げました。
 


野村さんは、金田さんのお別れ会に出た20日後に、亡くなっています。



「生涯一捕手」
「ID野球」
「野村再生工場」
「日本海に咲く月見草」




など野村さんには、いろんな代名詞があります。
野村さんは、スターと言うより職人・玄人の野球人でした。


試合後のインタビュー、時にはユーモアを交えての言葉には、経験からくる重みがありました。
 


晩年のテレビの解説も、独特でした。
低い声で、ぼそぼそっと苦いことも言いながら、話は的をえて、わかりやすいものがありました。



「さあ、バッターは長嶋」
「さあ、次は野村です」
と言いながら、私を含め、当時の多くの少年たちがブルンとブルンとバットを振った幼い頃の思い出も色あせていきます。
 


重みのある人がいなくなっていくことが寂しく感じます。