かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

寺町とうろう祭り

2013年08月10日 | Weblog
灯ろうの炎が揺れる寺町に
         下駄の音響いてお盆を招く


午前中から、合元寺というお寺のお施餓鬼(おせがき)がありました。かつては、お寺のことは両親に任せていたので、一つひとつの行事がどんな意味があるのか分からないことも多いです。



インターネットによると、



「読経などによって、餓鬼の苦しみから脱しせしめんとする法会です。そもそも、鬼は自分自身の心の中に住んでいるのです。その鬼を退治し、正しい生活を送るために縁ある人々が集い、修行することこそが施食会でもあります。



同時に自分自身に与えられた生命に感謝、さらに長寿を願うという意味もあります。この法会は先祖供養と理解されがちですが、先祖だけでなく、無縁の佛さまはもとより、すべての生きとし生けるものへの供養であります。」





なるほど。お寺には、両親の墓もあります。お墓参りをして、施餓鬼に出ました。お堂はたくさんの人で埋められていました。




初盆の家に対してのお経もありました。毎年の寺町のとうろう祭りがある日の恒例行事です。




この行事には、初めて教師になった時の学校の先輩の先生、2人も来ています。もう高齢になっていますが、「年に一回の同窓会やね。」と法要が終わった後の出されたお弁当を食べながら思い出話に花を咲かせていました。



しかし、今年2人の先輩のうちの一人の先生が体調が悪いということで参加をしていませんでした。寂しく感じましたが、お体を大切にしてほしいと思います。





夜は、とうろう祭りにでました。とうろうがきれいな寺町のお寺にお参りをすると、この日は、お菓子などのお接待があります。狭い路地にたくさんのとうろうや人たちで埋め尽くされます。その人の列は、福沢旧邸まで続きます。




同級生のお寺もあります。かっぱ寺と言われています。火難を避けるために瓦には「水」と書かれています。年に一度だけ顔を合わせることができます。昼の法要にも手伝いに来ていました。




とうろうは、今年は来年の大河ドラマの黒田官兵衛に関するものが多く目につきました。





日が陰っても暑い。人出もあり、熱気ムンムン。かつては、落ち着いた雰囲気の中でイベントでしたが、今は、お祭り的で趣向が変化してきているのは、ちょっと残念かな。ひと通り歩いてから帰途に着きました。




しかし、お盆がやってきたという雰囲気になってきました。

K先生の講演会

2013年08月09日 | Weblog
ふるさとに戦禍があったできごとを
        子どもたちへと繋いでいきたい





8月6日、三光中学校の元校長先生であり、今でも短歌、陸上・・・などいろんなことに取り組んでおられるK先生に来校していただきました。




生徒を前に「先生の憎しみを乗り越えて平和共存を」というテーマに講演をしていただきました。K先生には、合唱祭やさまざまな行事で学校に来ていただいて、活動の協力をしていただいています。




「もう年だからね。」
と言いながら、先生の一つひとつの言葉の重さそして、先生の存在感は学校にとって大きな力です。




先生が思いを込めて言葉を綴った句を紹介しながら、生徒たちに「平和の大切さ」を伝えてくれました。





○校舎二棟の南館の一階教室 大砲やその他兵器の格納庫 
   中学校(今の高等学校)の二階で勉強していたそうです。その校舎の一階は兵器などで教室が埋められていたと言います。そんな環境の中で生徒たちは学校生活を送っていました。


○上級生 軍需工場 学徒動員 一、二年生は勤労奉仕
   だれもが勝利を信じて、戦争に関わっていました。報道とは違って裏では戦況が刻々と変わっていっていました。


○森山の上空過ぎたそのころに 日本の小型機 先頭の機に
  空中分解 落下傘 ひらひらと落ち行く翼

     落ちていく様子を学校の帰りに見たと言います。八面山の上空をひらひらと落ちていく翼に驚きを隠しきれませんでした。


○帰宅し直ちに八面山へ 行けど警察・消防制す    戦闘機が落ちた八面山の方に行こうとしました。しかし、警察や消防団の人たちがその道をふさいでそれ以上行くことができませんでした。しかし、エンジンが下秣の方に落ちていったということで急いで秣の方に駆けていきました。



○早速に友と現場へ走り行き 軒先の庭 半ば埋もれて
    エンジンが老夫婦の軒先に埋もれていました。エンジンから出ているコードを足で見つからないように引っ張っていました。「友軍機を足でけがすのか。」と怒号が飛んできました。





そんな戦時中の話をしっかりと子どもたちに伝えてくれました。子どもたちの世界を戦時中に戻さないことが私たちにとって大きな責任であると思います。

心そして平和

2013年08月06日 | Weblog
もう二度と戦はしまいぞ許すまい
         平和な時代(とき)を次の世代へと





今日は、8月6日。68年前にヒロシマに原爆が投下された日です。戦争の残虐さを今もなお、感じることが多いです。「平和を願う日」ということで、学校では全校集会などを開きながら、平和について考えていきました。
 


全ての日程が終わってから、卓球部の生徒たちが玄関のところに集合していました。その様子を通りかかりに見ました。それは、卓球部の3年生が、今までお世話になった顧問の先生に、お礼を言うという場面でした。




指導を今まで真剣にしてくれたこと、土日を含めて自分たちのために関わってくれたこと・・・など主将が心を込めてあいさつをしました。生徒たちにとって、一生懸命に指導をしてくれたということは、心の中から感じ取っているのでしょう。





先生も「時には、きついことを言ったこともあるけれど、でもこのチームのレベルをあげたいと思って自分なりに頑張りました。卒業式でもないのに、こうして生徒たちが機会をもってくれたことがとてもうれしいです。」などと言葉を返していました。






生徒たちが花束や色紙を渡すだけでなく、手紙なども一緒に渡していたことが、生徒、顧問の先生の信頼関係、そしてつながりの深さを伺うことができました。ほのぼのとしたものを感じました。





会が終わった後も談笑をしていました。そこは本当に陽だまりの場所でした。






感謝・感動・前進と体育館のステージに言葉が掲げられています。






長崎大学の学長さんが以前、入学式の式辞で





「このキャンパスは、原爆が落とされたとき、多くの方々が犠牲となりました。その上にみなさんは立っています。その上を汚してはいけません・・・。」






という言葉を投げかけました。もちろん物質的なごみなどもそうかも知れません。しかし、その話の中で、物質的なものと人としての生き方もあると思います。


前向きに歩くこと、善悪の判断、夢を抱くこと、人のつながりを大事にすること、あたたかく生きること・・・汚さない、毎日の生活の中ではいつも振り返ることはできませんし、いつもいいことばかりではありません。






しかし、気持ちの中には、自分を汚さない生き方もしていきたいものです。
 



学校の玄関でほのぼのとした瞬間に出くわし、生徒、先生のあたたかさの中から大事にしたい「心」を学びました。その延長上に「平和」ってあるのかも知れません。




8月は、6日はヒロシマ、9日にナガサキに原爆が投下された日です。そして15日は終戦記念日となります。「ノーモアヒロシマ、ノーモナガサキ」そして「ノーモア WAR」をこれからも伝えていきたいですね。

伸びる草VSかったか

2013年08月05日 | Weblog
伸びる草夏の日照りも何のその
         汗だくだくで下着へばりつき


今年は異常の暑さです。しかし、今日は朝から雨が降っていました。久しぶりのまとまった雨です。川の水が増えるといったところまではいきませんでしたが、草や木を潤す雨となりました。





昨日は、地区の美化デーでした。前日のナイターの疲れと朝7時からの作業で目をばしばしさせながら、集合場所のお宮まで行きました。





道路を中心に草刈り機で草を刈って行きました。いつもは何気なく道路を通っていて、見過ごしていますが、歩いてみると至るところに草が伸びています。地区の方たちと、汗を流しながらきれいにしていきました。猛暑でもしっかりと草は伸びていきます。







しかしみんなで作業を進めるとあっという間に道路はきれいになっていきました。作業が終わってから、





「かったかちゃん、裏の畑はどうするんかや。どうせなら、こんまま続けて刈ってしまえばいいのに。」




・・・・・・しっかり見ている。畑も草がぼうぼうになっています。




「今日は、もうパワーがないよ。昨日、遊びすぎたからね。」
でも言われたからには、近いうちにしなければ。






今日はグランドの整備をしました。ほこりがたつと近所迷惑になるので、雨が降った後でないとグランドの整備はできません。今日は絶好のひよりでした。この一カ月、ほとんど雨が降っていないので、車で整備できていません。




梅雨までの間は、ぼちぼちできていたのですが、梅雨が明けると同時の猛暑。少しでも車で整備しようものならほこりがまきあがります。できなかった分だけあっという間に草が伸びきっています。気になりながらも雨が降るのを待っていました。





で久しぶりの雨。しっかりと車を動かしました。朝と夕方2回グランドを回りました。一回グランドのすべてを整備すると、10キロ近く車を運転することになります。だいたい50分近くかかります。





車にグランドをならす器具をつけてスタート。思い出の器具です。10年近く重宝されています。かつて野球部を担当した時に保護者の方が作ってくれたものです。まだしっかりと機能しています。これも体育大会のためと外の部活のためです。体育大会は、来月開きます。




かつて野球部を担当していた頃、ライトのところは、草が伸びきると、膝くらいまでありました。だからこの器具を作ってくれました。ノックをするとボールを見失うこともしばしばありました。






その後、グランドを改修したので、一時は草は生えなかったのですが、ここ2、3年はしっかりと復活しつつあります。猛暑の夏ですが、草だけは生き生きとしています。その草と格闘中です。

平和であること・・・綴りながら

2013年08月04日 | Weblog
 あさっては、「平和を願う日」の集会が学校で行われます。伝えたいことをあさって発行する学校だよりを今日作りました。町史やインターネットで調べながら、ふるさとの戦争について調べました。いろんな出来事があった中で、一部だけを文章にしました。


1945年8月6日午前8時15分に広島に原爆が投下され、多くの人の命を奪っていきました。



今日は、学校にK先生をお招きして、「平和について」学んでいきます。ふるさと三光にも戦いがあったことをK先生の体験をもとに話をしていただきます。




ふるさとにも戦いがありました。太平洋戦争の末期、1945年5月、八面山上空で、旧日本軍戦闘機が米軍爆撃機に体当たりし、計12人が死亡。同じ年の8月には米軍戦闘機と交戦の末、旧日本軍戦闘機のパイロット1人が亡くなるという歴史があります。




1945年6月のことです。耶馬溪町の山移は、福岡の太刀洗飛行場へ攻撃に向かうB29の通り道となっていました。


山移小学校の上空でも交戦があり、日本機が銃撃を受け墜落。乗っていた2人のうちの一人は、飛行機もろともに地面に激突。死亡。一人は、墜落する前に落下傘で降りようとしましたが、落下傘が開かず命を落としました。


役場に遺体が収容され、通夜を地域の人たちがとりおこなったといいます。この話は親戚の方からも聞いたことがあります。衝撃的な出来事だったと言います。その紙芝居も地元ではつくっています。その紙芝居の中にあった短歌です。


○国の為 生命捧げし 大丈夫(ますらお)の霊(たま)安かれと 祈る平和に


○君のため 何か惜しまぬ 若櫻  散って 甲斐ある 生命なりせば
(海軍少佐 古野繁美)


○友軍機 散華の豪音に 驚愕し 鈴木軍曹 この地に戦死

○村を挙げ 戦場掃除 馬力出し 墜落地点も 軅て消えゆく


○戦場の跡消えゆくも 戦死者の 勇戦の史 白岩ぞ知る




隣りの宇佐市でも海軍航空隊があり、何度も空襲を受けています。またここから若者たちが特別攻撃隊として、出撃しています。




ふるさとにも尊い犠牲がありました。その犠牲があって今の平和があり、平和を大切にすることを私たちは学びの中から気づいていく義務があると思います。

プチ職員の弾丸ツアー

2013年08月03日 | Weblog
日帰りの弾丸ツアーの楽しさは
            あわただしさもしばし忘れる





同じ学校の先生たちと連れだって、今日は野球観戦に行きました。事務の先生が詳しくて、しっかり計画を立ててくれました。




列車の時間、野球観戦の時間、博多なので、「もつ鍋」を食べる時間・・・部活などの関係で日帰りの弾丸ツアーでしたが、しっかりと楽しむことができました。




夏休みの土日とあって、列車も込み合いました。また博多はいろんなイベントもたくさんあって賑わっていました。早速ヤフオクドームへ。




昨日、中津の先生方の集まりがあった時に、鷹の祭典に行った先生から、ユニフォームをいただきました。感激。もちろん計画を立てた先生も鷹の祭典に行っています。さすが鷹派。松田派。行く列車の中から着こなしていました。


さすが・・・それは・・・。




やっぱり人数で行くのは楽しい気分になります。プチ旅行です。急遽行くことができなくなった先生もいたので、ちょっと席は余裕がありました。



大学時代の同級生にチケットを取ってもらっていました。位置を指定していました。「見るなら盛り上がるライトスタンドで・・・。」という希望。




出入りがしやすく、一番見やすく、盛り上がるところ、さらに一列にならずにかたまりで・・・いろんな要求の中で、「一生に一度のお願いが何度もあるな。」と言いながら、しっかりチケットを取ってくれていました。感謝です。





試合もずっとソフトバンクがリードしていましたが、なんと外野手が中学生のようなプレーで、ランニングホームランにしてしまい、逆転されました。




試合はソフトバンクが負けるのかなあと思いきや8回裏に松田選手が逆転のツーラン。ライトスタンドは、知らない人までが一体となって大喜び。松田ファンの幹事さんは喜ぶ、喜ぶ。




花火は見ることもできて、ヤフオクドームをあとにしました。




そして、最後は、幹事さんがしっかりとインターネットで調べていたもつ鍋ランキング上位のお店へ直行。もつ、あぶりもつなどをしっかりと腹におさめました。




幹事さん、ありがとうございました。しっかり調べてくれて楽しい時間を過ごすことができました。

九州大会間近

2013年08月02日 | Weblog
声援を背中に感じ舞台立つ
        ドラマを残す心のカレンダー






いよいよ県総体や県吹奏楽コンクールで九州大会出場が決まった部活は、本番が近づいてきました。練習などを見ていると、練習に緊張感があります。大会が大きいだけに陰でお世話をする人たちの活動を目にする機会も多くなっています。




生徒たちは、思う存分に与えられた、勝ち取ったステージで自分たちの力を発揮して欲しいと思います。一方では、陰となって、参加体制を整えてくれているお家の方たちに感謝の気持ちも持って欲しいと思います。





今日は、学校の近くに「祝 九州大会出場」などと書かれた横断幕が有志の方々が寄贈して下さいました。感謝しています。学校に活気が出てきます。小さな学校で子どもたちの大きなエネルギーを感じることができます。





部活の顧問の先生に、「こうしてたくさんの人たちが温かく応援をしていることに感謝の気持ちを持てる指導をして下さいね。そのことが成長したときに大事になるよね。」と伝えました。今日は、ある部では夕方お家の方たちが寄って、話し合いを持っていました。




今日の朝、先陣を切って、空手の九州大会に出場する生徒の見送りに中津駅まで行きました。沖縄県の那覇市で大会は行われます。早めに駅に着いたのでまだ生徒は到着していませんでした。




駅は、高校も含めていろんな大会に出る人たちが集まっていました。しばらくすると、生徒がやってきました。いい表情です。



他の中学校の空手の選手たちとも合流しました。家族がそれぞれに見送りに来ていました。





自分の力で勝ち取った沖縄への切符です。レベル高さがないと九州大会まで行くことはできません。様子を見ていると、笑顔の中にも、みなぎるエネルギーを感じます。もちろん、他の中学校の選手たちも同様です。




残念ながら、九州大会に行くことはできなかった部も新チームの中で刺激を受けています。大切なことだと思います。




駅の自動改札口を通ってプラットホームにあがろうとしました。今は、列車に乗る機会も少なくなっています。




生徒は、自動改札口に切符をいれたまま、階段を上がろうとしました。次の人も次の人も切符を入れていったので、詰まってしまいました。「ふだん汽車にのらんきのう。」と爆笑。ほのぼのとした雰囲気ももちながら旅立っていきました。



しかし、この穏やかさも試合では表情が勝負師の顔となります。沖縄での活躍を期待しています。





これからバスケット、水泳、吹奏楽と続きます。生徒たちがんばりがうれしいエネルギッシュな夏になっています。

偶然に偶然の出会い

2013年08月01日 | Weblog
何気なく散歩をするとめぐりあう
          偶然の出会い和みのひととき


7月の終わり、中味の濃い何日間を過ごしました。県総体・県吹奏楽コンクールと続きました。大分に行ったときに、夜大学時代の同級生と久しぶりに会う約束をしました。同じ野球部の友だちとバレー部だった友だちです。




会うと、年齢は重ねていますが、気持ちは大学時代に戻ったような錯覚に陥ります。




たわいもないことでも無条件に話が弾みます。時間が経つのを忘れてしまいます。そうこうするうちに、偶然なメールで、「街で飲んでいます。」と教育実習時代の生徒。街・・・つまり近いところにいる・・・。すごい偶然です。




こちらが街にいるのを知っているかの如くのメール。合流してさらにまた盛り上がりました。




生徒とは言ってもそう年齢は変わりません。たぶん。生徒と言っても同じ教職についている人、老人施設の施設長になっている生徒・・・と社会の第一線で頑張っています。






さらにその日の午前中は、総体の開会式でした。「かったかさん。」の言葉にふりむくと、大学時代の隣の部屋の後輩でした。同じく生徒の引率で来ていました。



久しぶり。懐かしい顔です。思えば、大学時代、彼が途中から引っ越してきました。



その縁あって、自分が結婚できたという逸話があります。今は、県南の以前姉が勤務していた学校に勤めています。そんな学校の話もしていました。


開会式が終わり、1時間過ぎて、電話がありました。「どうしたのだろう。」と思って出てみると、姉の声がしています。ある同じ会議に開会式のあとに出て、ぱったり出あったというのです。「さっきまで噂をしていたのに。」ということで、彼に会うのも偶然。



彼が最近まで姉の勤務していた学校に今いることも偶然。彼が姉と会うことも偶然。




偶然にも偶然が続いた一日でした。





とどめは、吹奏楽コンクールの応援に向かっているときに、偶然にも「もう間もなく、皇太子様がホテルから出発しますよ。」という警察官の声。その声につられて、立ち止まってみていました。予定の時間より少し遅れはしましたが、初めて偶然にもお見かけすることができました。


インターハイの開会式のために大分入りをしていたのです。



すごい警備の中で、中津、宇佐、杵築などをこの日は回っていました。4日間、あわただしく動きましたが、動いただけ、たくさんの偶然に遭遇しました。




しかし、吹奏楽コンクールは、偶然ではなく、練習の積み重ねで必然的な勝利。南九州大会への大分県代表の切符を手にしました。