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平和であること・・・綴りながら

2013年08月04日 | Weblog
 あさっては、「平和を願う日」の集会が学校で行われます。伝えたいことをあさって発行する学校だよりを今日作りました。町史やインターネットで調べながら、ふるさとの戦争について調べました。いろんな出来事があった中で、一部だけを文章にしました。


1945年8月6日午前8時15分に広島に原爆が投下され、多くの人の命を奪っていきました。



今日は、学校にK先生をお招きして、「平和について」学んでいきます。ふるさと三光にも戦いがあったことをK先生の体験をもとに話をしていただきます。




ふるさとにも戦いがありました。太平洋戦争の末期、1945年5月、八面山上空で、旧日本軍戦闘機が米軍爆撃機に体当たりし、計12人が死亡。同じ年の8月には米軍戦闘機と交戦の末、旧日本軍戦闘機のパイロット1人が亡くなるという歴史があります。




1945年6月のことです。耶馬溪町の山移は、福岡の太刀洗飛行場へ攻撃に向かうB29の通り道となっていました。


山移小学校の上空でも交戦があり、日本機が銃撃を受け墜落。乗っていた2人のうちの一人は、飛行機もろともに地面に激突。死亡。一人は、墜落する前に落下傘で降りようとしましたが、落下傘が開かず命を落としました。


役場に遺体が収容され、通夜を地域の人たちがとりおこなったといいます。この話は親戚の方からも聞いたことがあります。衝撃的な出来事だったと言います。その紙芝居も地元ではつくっています。その紙芝居の中にあった短歌です。


○国の為 生命捧げし 大丈夫(ますらお)の霊(たま)安かれと 祈る平和に


○君のため 何か惜しまぬ 若櫻  散って 甲斐ある 生命なりせば
(海軍少佐 古野繁美)


○友軍機 散華の豪音に 驚愕し 鈴木軍曹 この地に戦死

○村を挙げ 戦場掃除 馬力出し 墜落地点も 軅て消えゆく


○戦場の跡消えゆくも 戦死者の 勇戦の史 白岩ぞ知る




隣りの宇佐市でも海軍航空隊があり、何度も空襲を受けています。またここから若者たちが特別攻撃隊として、出撃しています。




ふるさとにも尊い犠牲がありました。その犠牲があって今の平和があり、平和を大切にすることを私たちは学びの中から気づいていく義務があると思います。