ふるさとに戦禍があったできごとを
子どもたちへと繋いでいきたい
8月6日、三光中学校の元校長先生であり、今でも短歌、陸上・・・などいろんなことに取り組んでおられるK先生に来校していただきました。
生徒を前に「先生の憎しみを乗り越えて平和共存を」というテーマに講演をしていただきました。K先生には、合唱祭やさまざまな行事で学校に来ていただいて、活動の協力をしていただいています。
「もう年だからね。」
と言いながら、先生の一つひとつの言葉の重さそして、先生の存在感は学校にとって大きな力です。
先生が思いを込めて言葉を綴った句を紹介しながら、生徒たちに「平和の大切さ」を伝えてくれました。
○校舎二棟の南館の一階教室 大砲やその他兵器の格納庫
中学校(今の高等学校)の二階で勉強していたそうです。その校舎の一階は兵器などで教室が埋められていたと言います。そんな環境の中で生徒たちは学校生活を送っていました。
○上級生 軍需工場 学徒動員 一、二年生は勤労奉仕
だれもが勝利を信じて、戦争に関わっていました。報道とは違って裏では戦況が刻々と変わっていっていました。
○森山の上空過ぎたそのころに 日本の小型機 先頭の機に
空中分解 落下傘 ひらひらと落ち行く翼
落ちていく様子を学校の帰りに見たと言います。八面山の上空をひらひらと落ちていく翼に驚きを隠しきれませんでした。
○帰宅し直ちに八面山へ 行けど警察・消防制す 戦闘機が落ちた八面山の方に行こうとしました。しかし、警察や消防団の人たちがその道をふさいでそれ以上行くことができませんでした。しかし、エンジンが下秣の方に落ちていったということで急いで秣の方に駆けていきました。
○早速に友と現場へ走り行き 軒先の庭 半ば埋もれて
エンジンが老夫婦の軒先に埋もれていました。エンジンから出ているコードを足で見つからないように引っ張っていました。「友軍機を足でけがすのか。」と怒号が飛んできました。
そんな戦時中の話をしっかりと子どもたちに伝えてくれました。子どもたちの世界を戦時中に戻さないことが私たちにとって大きな責任であると思います。
子どもたちへと繋いでいきたい
8月6日、三光中学校の元校長先生であり、今でも短歌、陸上・・・などいろんなことに取り組んでおられるK先生に来校していただきました。
生徒を前に「先生の憎しみを乗り越えて平和共存を」というテーマに講演をしていただきました。K先生には、合唱祭やさまざまな行事で学校に来ていただいて、活動の協力をしていただいています。
「もう年だからね。」
と言いながら、先生の一つひとつの言葉の重さそして、先生の存在感は学校にとって大きな力です。
先生が思いを込めて言葉を綴った句を紹介しながら、生徒たちに「平和の大切さ」を伝えてくれました。
○校舎二棟の南館の一階教室 大砲やその他兵器の格納庫
中学校(今の高等学校)の二階で勉強していたそうです。その校舎の一階は兵器などで教室が埋められていたと言います。そんな環境の中で生徒たちは学校生活を送っていました。
○上級生 軍需工場 学徒動員 一、二年生は勤労奉仕
だれもが勝利を信じて、戦争に関わっていました。報道とは違って裏では戦況が刻々と変わっていっていました。
○森山の上空過ぎたそのころに 日本の小型機 先頭の機に
空中分解 落下傘 ひらひらと落ち行く翼
落ちていく様子を学校の帰りに見たと言います。八面山の上空をひらひらと落ちていく翼に驚きを隠しきれませんでした。
○帰宅し直ちに八面山へ 行けど警察・消防制す 戦闘機が落ちた八面山の方に行こうとしました。しかし、警察や消防団の人たちがその道をふさいでそれ以上行くことができませんでした。しかし、エンジンが下秣の方に落ちていったということで急いで秣の方に駆けていきました。
○早速に友と現場へ走り行き 軒先の庭 半ば埋もれて
エンジンが老夫婦の軒先に埋もれていました。エンジンから出ているコードを足で見つからないように引っ張っていました。「友軍機を足でけがすのか。」と怒号が飛んできました。
そんな戦時中の話をしっかりと子どもたちに伝えてくれました。子どもたちの世界を戦時中に戻さないことが私たちにとって大きな責任であると思います。