かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「よし、がんばるか」

2020年02月12日 | 大分県
雨の一日でした。
自然界の草木・花も息吹きます。


昨日は祭日でしたので、今日からまた学校は再開です。
 

今日は、教室に行くと、男子から、
「先生、野村さんがなくなったんやね。」
という話題が何人かから出されました。


今の少年たちの心の中にも野村さんは、大きく存在しています。
ちょっと、びっくり。
ちょっとうれしく思いました。 
 



今日、NHKのクローズアップ現代で「野村さん」の特集が組まれていました。


これを見ながら、「野村克也」は、亡くなったことで寂しいということもありますが、高齢者から少年までにおいて、たくさんの野球の知識を、またそれだけでなく「生き方」なども伝えてくれていたことを感じました。


 
つまり、たくさんのことを遺してくれているのです。
野村さんの軸となるものは、
「人を遺すを上とする」
です。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする」
の下、人との関わりを大切にしてきています。


野村さんが残してくれているものに支えられている部分を多くの人が持っています。
だからこそ、亡くなってから、多くの人に喪失感があるのだと思います。
 


テレビ番組の中で、
「夢をもて、夢を持って生きろ」
と話をしていました。 夢をもったら、それを実現させるための努力を伝えます。
「努力は天才に勝る」



野村さんは、
「貧困家庭の中で育ち、劣等感が支えてきた。そして、人一倍の努力をしてきました。」
言葉に説得力があります。


「バットを振って振って振りまくりました。楽をしていい結果は得られない。」




そのために、
「チャレンジ精神がなくなってから人生は終わりだね。」
「自分自身の幅を決めつけてはいけない。やることをやらないとどういう才能があるかわかりません。」




なるほどだらけです。

 


人としても
「感性を大切にすれば、成長をする」


「感謝は、野球を人を成長させる。人間は人と人の間にあります。
そのつながりを大切にして、支えてくれる人に感謝しながら、頑張りなさい。」
 

たくさんの残してくれたものに学びがあります。
 


昨日、Aさんのお父さんが亡くなってお見舞いに行った時の写真をAさんが送ってくれました。
 


野村さん、そして、Aさんのお父さんからもいただいたものを大切にしていきたいです。

「一つの時代・・・野村さんの訃報」

2020年02月11日 | 大分県
今日の昼から、明治時代から昭和にかけて、鉱山を経営した蔵内次郎作さんの「旧蔵内邸」のおひな様に行きました。
 

建物・庭園とも時代の繁栄を感じさせる豪華絢爛なものです。
田園の中に時代の華やかさを感じさせます。



一時代を築いています。
 



さらに今日は、一時代を築いた人がお亡くなりになっています。
朝、ちょっと仕事をしていると、スマホに速報が入ってきました。
元プロ野球選手の野村克也さんの訃報です。
 



先日は、400勝投手の金田正一さんが亡くなりました。


そして、野村さんです。



幼い頃、金田さんの投げる真似をしたり、三冠王の野村さんの打つ真似をしたりしながら、神社などで野球を楽しみました。
高度成長時代、ブラウン管から、野球を通して、生活にエネルギーを与えてくれました。
 



国民にとっては、長嶋・王のONは、神的な人。
昭和の時代、長嶋・王・野村・・・子どもたちにとっては、あこがれの存在でした。
その一歩ひいたところで、しっかりと存在感をみせました。



野球が好きになったのも、この方々のプレーに魅せられたからです。
 


現役を引退しても、監督として、強いチームと次世代の選手を育て上げました。
 


野村さんは、金田さんのお別れ会に出た20日後に、亡くなっています。



「生涯一捕手」
「ID野球」
「野村再生工場」
「日本海に咲く月見草」




など野村さんには、いろんな代名詞があります。
野村さんは、スターと言うより職人・玄人の野球人でした。


試合後のインタビュー、時にはユーモアを交えての言葉には、経験からくる重みがありました。
 


晩年のテレビの解説も、独特でした。
低い声で、ぼそぼそっと苦いことも言いながら、話は的をえて、わかりやすいものがありました。



「さあ、バッターは長嶋」
「さあ、次は野村です」
と言いながら、私を含め、当時の多くの少年たちがブルンとブルンとバットを振った幼い頃の思い出も色あせていきます。
 


重みのある人がいなくなっていくことが寂しく感じます。




春のエネルギーをもらって~たけのこ~

2020年02月10日 | 大分県
今日は、月曜日でいつものように学校。
でも明日は、建国記念の日で休み。
休みと休みとの間の学校でした。
 


希望する4年生の子どもたちは、ホテルの「初めての出張」事業でした。
子どもたちだけで、ホテルに滞在を昨日からしていました。

そして、今日は、ホテルから登校です。
ホテルの方に見送られて、学校に向かいます。
おしゃれな事業です。



「せんせい、昨日、シングルの部屋で、みんなで風呂に入ったよ。」
おいおい。それは、にぎやかだっただろうね。
「ちゃんと勉強もしたよ。」
ほんとかな。
 「昨日、疲れた人?」
ほとんどの子どもたちが手をあげています。


「初めての出張」とは言えども、シングルの部屋にじっととはいかないです。
 



今日は、近所の方が、うちの山などから、たけのこをほったそうです。
初ものと言って、たけのこご飯を作ってくれていました。


この時期、素人では見つけることはできません。
美味しく食べさせてもらいました。


春からパワーももらいました。

「春が来ていた」

2020年02月08日 | 大分県
週末に雪が降ったというところもありますが、いろんなところで春を迎えます。
 


今日は、家族の「かんれき」のお祝いをしました。
あっという間にその時がやってきたように思えます。
子どもたちもいろんな準備をしてくれていてお祝いをすることができました。
 


そのあとは、みんなで椎田町の綱敷天満宮に梅の花を見に行きました。
梅まつりが行われていました。
今日から3月8日までだそうです。
今は、見頃だと思います。



「菅原道真が藤原時平の讒言により大宰権帥に降格され、昌泰4年(901)、京都から大宰府に配流の折に船が難破し、ここ高塚の浜に漂着しました。
この時地元の人たちが船の綱を円座に敷いて迎えたという故事により、天暦9年(955)、国府の命によって社殿が造営され綱敷天満宮といわれるようになりました。」



ちょっと文運がよくなるように?なで牛もなでました。


天神様の使いが牛とされているそうです。
また菅原道真が丑年の丑の日、丑の刻に生まれたされています。
亡くなった日も丑年の丑の日、丑の刻とされています。
また菅原道真が移動中に襲われた際に、どこからともなく牛が現れて、道真を守ったという言い伝えもあります。
その結果、菅原道真を神様とする北野天満宮には、多くのなで牛が置かれているそうです。


綱敷天満宮にも小さななで牛が置かれていました。
 



初めて行きましたが、たくさんの梅の花が開花していて、多くの人が梅の花と匂いを堪能していました。
1000本の梅の木があるそうです。
きれいに梅の木が並ぶように咲いていました。
 



ちょっと春の匂いを感じることができました。

「春の季節にありがとう」

2020年02月08日 | 大分県
今日は、午前中は、お餅つきがありました。
保育園で園児たちの頑張りやお家の方たちの頑張りを見ていました。
 



かつての生徒たちもたくさん来ています。
園庭は盛り上がりを見せています。
 


園長先生から「来るのが遅いよ。」はいはい。
若い人たちがもちをついていたので、今日は食べるだけの役割でした。
それでもしっかりとにぎわいの中に入れてもらっていました。
 


園児たちも参加した人たちも和気あいあいとした時間を過ごしていました。
 
楽しい時間をありがとうございましたでした・・・。
 



そして、Aさんのお父さんを見送りに行きました。
弔辞を頼まれていたので、お父さんのことを思い出しながら、昨日書いていきました。
 


お父さんとの思い出が書くことで深く蘇ってきました。
自分なりに心を込めて、伝えていきました。



「今までありがとうございました。」
の思いが募りました。
 
 
春の足音も大きくなってきています。


その中で、いろんな機会に、
「ありがとう」
と言いたい心配りももらえます。

「ありがとう」という言葉を
を言葉でしっかり伝えていきたいです。



「あの頃に戻って」

2020年02月07日 | 大分県
30数年前に、新任で勤務した今の学校。リスタートして偶然にも再び同じ学校に戻りました。
くしくも30数年前に受け持ったAさんのお父さんのお通夜に参列をしました。

とても寂しく感じました。

しかし、当時のお家の方々も来られていて、うれしく思いました。
 


ベッドとは違うお父さんの姿は、お似合いのネクタイもしていました。
またハットもちょこんと胸の横に置かれていて、おしゃれであったことを感じさせられます。
 


来られていた方と、あの時は、こうだった、懐かしい・・・などと言いながら、お通夜が終わった後に話をしました。


「去年の春に、先生が受け持っている4年生に、Aさんのお父さんと一緒に自転車交通安全教室に行ったのにね。」
「Aさんのお父さんとは、この間まで、一緒にひょっとこ踊りをしたんですよ。」


寂しくもAさんのお父さんのことを通して、また、Aさんのお父さんがみんなを集まらせてくれたおかげで、懐かしく話を弾ませることができました。
あの頃に戻ったような気がしました。
「せんせい、うちのときも来てよ。」
「そりゃ、こっちの方が先に逝ってしまうよ。」
 
また、Aさんからもお父さんが亡くなってから、お通夜迄の時間の中で、ちょっと感動するような話も聞かせてもらいました。
 


涙・感動・懐かしみ・寂しさ・悲しみ・あたたかさ・・・その人との関わりを思い、その人を偲ぶとき、いろんな心が回転させられていることを感じました。

「ありがとう・・・あなたは強かったです」

2020年02月06日 | Weblog
ちょっと、寒さが厳しい朝でした。車に乗った時、温度計を見ると、マイナスの世界でした。
しかし、朝明けるのが早くなっています。
冬と春が混じっている季節となっています。
 


そんな気候の中で、今日、仕事が終わって、家の駐車場に車を入れたとき、連絡がありました。
「お父さんが亡くなった。」
小学校勤務時代の教えたAさんからの電話です。
 


ショックでした。
 

何日か前に、
「あと2.3日と言われました。お父さんに会って欲しいです。」
病院に行きました。 
 


酸素マスクをしたりしながらも、楽しく話をすることができました。
写真も撮ったりしました。
 


今まで知らなかった話もお父さんから、みんなで聞くことができました。
 


でもそこから、お父さんの強さがありました。
生きようとがんばってがんばってがんばりました。
 


かつての教えた生徒で看護師をしているIさんもたびたび、病室を訪れてくれました。
 

お父さんの頑張りで、再び、病院に行くこともできました。
「前、せんせいが来てくれた時に、お茶を出さなかったので、お父さんに怒られたんよ。」
と言って、コーヒーを買ってきてくれました。
「ちゃんとコーヒーを買ってきてくれたよ。」
と手を握りながら、お父さんに言うと、こっくりとうなずいてくれました。



「もうこれで、会えないかも知れない。」
という可能性がある中で、帰るとき、病室のドアを閉めたときには、せつなさと悲しさを感じました。
自分の父親と同じような病気だったことと、同じような闘病生活のベッドの上の姿だったので、父の姿ともかぶりました。
 



お父さんの大切なお子さんたちに見守られながら、春の兆しが見える中、旅立ちました。
わたしが若かりし頃、ずっと支えてくれました。

もう、これ以上は書けません。
 
ありがとうございました。

「あなたが今ここにいるだけで・・・水田さんの講演」

2020年02月05日 | 大分県
3学期もひと月が過ぎていきました。あっという間の時間でした。
3学期。


年度の終わりということでいろんな行事があり、いろんな取り組みがあります。
4年生では2分の1成人式という行事があります。
ちょうど10歳。
取り組むことが、その時だけでなく、その行事が終わってからも生かされるようなものにしていきたいと考えています。



そんな中でも入院している子どもがいるので、病院に寄って帰っていますが、
「せんせい、ちょっと遅刻ですよ。」
と言われながらも、回復してきて、いろいろと会話できることが、一日最後のほっとするところです。
 



昨日は、自由参観日でした。3時間の授業があるうちに、1時間は、道徳の授業をしました。
1時間は、理科の先生が担当。
そして、1時間が誕生学アドバイザーの「水田結さん」の講演会でした。
 


道徳も「特別の教科」になっています。
新学習指導要領の中で、「教科化」されています。
 


「五百人からもらった命」という単元の授業をしました。
朝の児童朝会の中で、ユニセフ募金が児童会より提起されました。


その時に、
「すべての子どもに・・・」
という話がありました。ユニセフでは、「テーマポスター」となっています。



授業の冒頭で、みんなで考えました。
「すべての子どもに幸せを」
が多く出てきました。
「すべての子どもに食料を」
「すべての子どもの命を守ろう」



子どもたちなりに考えて、いろんな意見が出されました。


授業は、なぜ、多くの人たちが一人の命のために、献血をする場所に駆けつけたのかを考えていきました。



子どもたちが生きていく、どこかでこの話が生かされる時がやってくればと思います。




そのあとに、誕生学アドバイザーの「水田結さん」の講演会がありました。
〇命は繋がれている。そして応援されている。
〇あなたがいるだけで、人を幸せにする。
〇多くの人の愛情の中で、今生きている

ことを、誕生のしくみも伝えてくれながら、子どもたちに話をしてくれました。


「あなたがここに生きていてくれることでどれだけの人を幸せにしているのでしょう。」
「生まれてきてくれてありがとう。」
「ただあなたが生きていてくれるだけで嬉しい」

 


優しい笑顔で子どもたちやお家の方に語りかけてくれました。
特に道徳での「命」についての授業のあとだったので、なおさら、子どもたちもインパクトがあったと思います。
 


充実した時間を過ごすことができました。

「自由参観日でした」

2020年02月04日 | 大分県
だんだんと朝、明るくなるのか早くなってきているような気がします。
今日は、3時間目から5時間目まで自由参観日でした。

そのあともいろいろあって、あっという間に時間が過ぎていきました。
 


自由参観は、授業に、誕生学アドバイザーの水田さんの講演会でした。
1時間は理科で、ほかの先生の授業でした。


1時間あった授業は、教科となった道徳を行ないました。
子どもたちと学んでいきました。

詳しいことは、また後日に書きますね。

明日は立春です

2020年02月03日 | 大分県
今日は節分の日。
地区では日程の都合で明日、恵方巻を作るそうです。

そして明日は、立春。
三寒四温の中で、だんだんと暦だけでなく、気候も春を迎えていくのですね。

昨日までイオンの2階で作品を展示してくれていましたが、周りの人の作品がすごすぎです。
目を奪われるものがたくさんありました。



「2つの愛読者・・・でした」

2020年02月01日 | 大分県
今日から来月にある実年野球大会中津市予選に向けての練習が始まりました。


かつての教えた生徒たちも交えて、練習の開始です。
あまり動いていなかったので、疲れました。
2月になり、いよいよ球春の訪れです。


少しずつ体を慣らしていきたいと思います。
 


春になり、いろんな始まりと終わりがあります。
いろんな終わりの中で、ちょっと寂しいことがあります。
 


自分が使っているブログのジャンルで、愛読をしていた2つのブログがありました。
 


1つは、湯布院の方で、湯布院の自然の写真を掲載していました。


写真を通して、とてもきれいな湯布院の魅力を感じていました。
四季、朝、夕方の時間、晴れた時、雨が降った時、雪が降った時の風景など四季折々、天候の折々・・・堪能させてもらっていました。
 



もう一つは、県南の方が書いていた日々のつづりで、とてもやわらかなタッチで文章を書いていて、ほのぼのとしたブログでした。
退職されて、10年以上が経っているにも関わらず、そのアクティブな生き方に学ばされるところがありました。
 



その2つのブログが、同じ時期に、同じような文章が書かれていました。
それは、
「長い間ありがとうございました」
という題でした。



湯布院の方は、写真のアップが7万枚に達したので、これを区切りにきりをつけたいという内容でした。
たくさんの愛読者が残念に思ったことでしょう。



もう一人の方は、これまでのあゆみのエッセイ集を出版するにあたって、きりをつけたいという趣旨でした。
こちらの方もたくさんの愛読者がいたと思います。


先日、この方のエッセイ集を通販で購入しました。
あっという間に読み切りました。


自然に対する思い、生き方に対する思いに、もう接することはありませんが、こちらも、
「長い間ありがとうございました」
という気持ちです。


「学校心理士会の研修会」

2020年02月01日 | 大分県
「大分に行くなら、もしマスクがあったら買ってきてよ。」
と友だちからの依頼。
返事はしたものの、何店かの薬店に行きましたが、マスクのコーナーだけ、空間となっていました。


すごい。
テレビでは見ていましたが、新型コロナウィルスの影響はすごいです。
びっくりしました。


「なかったよ。」と言うと、「マスクはどこも売っていないよ。」という言葉。試したのかぁ?
 


今日は、今年度最後の「学校心理士会」の研修会が大分大学の実践総合センターで行われました。


今日は、これまで大分県のが「学校心理士会」を支えた藤井昭義先生がお亡くなりました。
そして偶然にも研修会。


夜、役員会などで遅くなった時は、
「泊まっていきなさい。」
と何度かお世話になったことがあります。


いろんなところで活躍をされてきました。
優しさと厳しさを兼ね合わせた会長さんでした。


寂しく感じます。


凄いのは、体調を壊した後も、途中まででも総会や研修会に参加して、重みのある建設的な意見を出されていました。
また講演を頼むと快く引き受けてくれました。
 
 


アグレッシブに活動する先生で、たくさんのことを学ばせてもらいました。
先生が会長のもとで、副会長をさせてもらったことが貴重な経験となりました。
 



そんな寂しい思いの中で、先生がお亡くなりになった今日、研修会と役員会が行われました。
 
 


今日は、日本文理大学の高橋先生による、「すぐにできるエンカウンター」というテーマで研修を深めました。

中津市からも心理士の方が増えてきています。
数人の方が資格を取得しています。
かつての生徒もいて、一緒に参加をしました。
エンカウンターとは、インターネットでは、




「エンカウンターとは,ホンネを表現し合い,それを互いに認め合う体験のことです。この体験が,自分や他者への気づきを深めさせ,人とともに生きる喜びや,それぞれの人の道を力強く歩む勇気をもたらします。
人間関係が希薄な現代の人たちは,自然にエンカウンターする機会がもちにくくなっています。いま学校では,教師がリーダーとなり,エクササイズを実施し集団でエンカウンターを体験して心を育てようという気運が高まっています。いわば「本音を表現する人間関係の実験室づくり」です。」

と定義しています。
 


大分大学、大分大学医学部、日本文理大学の先生、小中高校の先生、支援学校の先生、スクールカウンセラーの先生などが集まって研修を深めていきました。
 


県内・県外から集まっての研修会でしたが、「エンカウンター」という手法を通して、それほどまで知らなかった先生たちとの交流、絆が深まっていくのを感じました。


研修室の中で、戸外に出て実習を展開していきました。
 
 


研修のあとは、役員会が行われ、5月の総会にむけての来年度の活動計画を立てていきました。
 


夜は、地区の公民館の総会。
年度末になり、年度最後の集まり、最初の集まりが行われています。