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※久田氏、水島氏の経歴は、8月14日『その1』をご覧ください。
<飢餓状態の旭兵団>
――岩波現代文庫『戦争と戦う』p253――
久田の所属する旭兵団は、1945年(昭和20年)3月段階で飢餓状態に陥り、ほとんど戦闘力を喪失するに至った。(『ルソン決戦』p309)。『第23師団(旭兵団)隷下部隊行動概要』には、2月下旬から4月下旬の師団司令部の状況についてこうある。
「工兵の数人は某日中食時一箇の飯盒を囲み互に箸を手にして茫然として該飯盒の底を凝視しあるのみ。当時食糧缺亡の為師団長以下将兵は、一般に朝夕の二回とし一椀の粥を畷りあったるものなるも、右工兵の如く力量を要する作業に服しあるものには、一日二椀の粥にては到底作業に従事し得ず。斯くの如くして3月下旬頃に至るや司令部の機能が全く破壊せられんとする様になった。正に於て各部は夫々米軍より糧食を求めんとし、戦力破壊消耗の目的以外に斬込を敢行する様になった」
ここから窺えることは、食い物を求めた「斬込み」までするに至った兵団の末期的状況である。司令部周辺にいる者にしてからが、この状態である。
方面軍の「尚武参電第124号」(3月29日発)によれば、「旭(兵団)ハ敵上陸以来ノ戦闘ニ拠リ人員装備ノ損耗ハ2分ノ1以下二減少シ 而モ『マラリヤ』患者ノ多発殊二給養不良(日量米50瓦こ達セス)ニ因り体力気力ノ衰耗甚シク其ノ戦力ハ3分ノ1以下二低下シアリ」(『ルソン決戦』p354)とある。
この(※1945年)5月下旬から6月にかけて、食糧事情は最悪になりました。私たちがポソロビオ東方丘陵陣地から携帯してきた糎珠はすでに米一粒も残っていませんでした。塩抜きの生活がはじまってからかなりたった。移動途中に運よく、現地人の籾などを発見して、鉄帽や臼などでついて、一週間に一度か、十日に一度食べられるのが精一杯。白米の飯など思いもよらない。ボントック道3キロ以東の山岳地帯に入ってからは、芋畑も容易に発見できず、仮に見つけても、すでに先着の兵隊が掘り起こして食べてしまった跡。残っている芋の根や葉をとってかじりました。
久田 味つけはどうしたかというと、昆虫のバッタか、沢蟹を捕まえて、小さな米粒大の唐辛子と混ぜて「ふりかけ」にして、炊いた粥にかけて食べた。いや、食べるというよりは喉を通したといった方が正確なところです。
動物性蛋白質をとるために、蛙、トカゲ、ヘビ……。何でも食べた。ヘビなどは普通の生活をしている時はギョとするでしょう。ここでは、ヘビを見つけるとみんなよだれを垂らして、目をギラギラさせて、パーツとつかんで食べてしまう。
日本兵が行くところ、ヘビも蛙もみんな食い尽くされてしまい、私たちが後から行ってもなかなか見つけられなくなった。それで、ガメ虫というのを食べた。これは銀色の大きな
カナブンみたいなやつで、これをバリバリ食べた。家の中に飛び込んできたガメ虫を、兵隊たちが奪い合って食べている光景を想像できますか。特に塩分の欠乏は、私たちにとって一番苦痛でした。アルコールや甘味を欲しいという欲求は起こらなかったですが、塩分の欠乏は大変苦しかったのです。