川本ちょっとメモ

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久田栄正――飢餓戦線体験が生んだ憲法観 その2

2013-08-29 16:45:17 | Weblog

 ※久田氏、水島氏の経歴は、8月14日『岩波現代文庫のフィリピン敗戦体験記 その1』をご覧ください。


<日本国憲法 前文>
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普通の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。



<われらは、……平和のうちに生存する権利を有する>
 ――岩波現代文庫「戦争と戦う」p377――

学生に対する憲法教育と一般国民の憲法意識の公用に全力を傾注してきた久田栄正。かかる教育者としての側面と同時に、久田が憲法学に大してなした理論的貢献も見逃せない。

まず、学位論文となった『帝国憲法崩壊史』をはじめとする一連の日本憲法史研究。そこでは、なによりも戦争を引き起こし、日本国民に甚大な損害を与えたところの帝国憲法体制。その崩壊過程が実証的に分析され、戦前の憲法学および憲法学者が、厳しい検証の狙上にのせられている。

その際、久田の分析のベースには、常に、天皇の戦争責任追及の問題意識が通奏低音を奏でている。

この日本憲法史研究と並んで、特筆すべきは、憲法の平和主義、とりわけ平和的生存権論への理論的貢献である。

日本国憲法は、比較憲法的に見ても、他に例を見ない徹底した無軍備平和主義を採用している。戦争を放棄しているだけでなく、その実現達成手段たるいっさいの軍隊および戦力の諸形態の不保持、交戦権の否認という周到さである。

なによりも、この憲法は、「平和のうちに生存する権利」(前文第二段)を謳い、平和を人権の問題としてとらえている点が重要である。


<平和の問題を人権の問題として考える>
 ――岩波現代文庫「戦争と戦う」p378――

わが国において平和的生存権が主張されるようになったのは、恵庭事件、長沼事件という憲法訴訟を通じてである。これらの訴訟を契機に、平和的生存権の法理は、久田を含む多くの憲法学者によって理論的に深められていく。

久田は、恵庭事件の特別弁護人として札幌地方裁判所の法廷に立ち、「憲法の平和主義と生活権」という弁論を展開する。

久田は、かねてから、平和の問題を人権の問題として考えることを主張してきた。この弁論では、戦争を「国民生活」から見る視点が強調される。

「戦争を起こざないことが個人を尊重し、生命、自由、幸福を追求する権利の尊重の基礎条件であり……戦後のわが憲法の平和主義は、戦争権力による戦争からの人権保障のための抑制原理として理解すべき」であるという。

国民主権の立場から見れば、自衛戦争は正当ということにもなるが、そうではなく、戦争の問題は、「個人の尊重、生命、自由、幸福追求の権利を尊重するという基本的立場」から考えなければならないとする。


<憲法における平和的生存権と憲法13条>
 ――岩波現代文庫「戦争と戦う」p379――

久田にあっては、戦争の目的を問わずいっさいの戦争が否定されることになる。平和的生存権論における久田の議論の特徴は、平和的生存権の憲法上の根拠を、もっぱら憲法13条に求める点にある。

*憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


憲法学上、平和的生存権の憲法的構成は、前文の第2段(「平和のうちに生存する権利」)、第9条、さらに憲法第3章「国民の権利及び義務」第10条~40条の具体的人権条項とのコンビネーションによってこれを行うのが有力である。

長沼一審判決の平和的生存権論も基本的に、このような構成をとっている。

*憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


これに対して、久田はあえて憲法13条のなかに平和的生存権を読みとるべきことを主張する。


<憲法13条の基礎的権利を根こそぎ奪うのが「戦争」である>
 ――岩波現代文庫「戦争と戦う」p379――

《今日核兵器の出現によって人類滅亡まで予想される段階においては、個人の尊重は、人類社会を支える基礎としての意義をもつに至った。個人の尊重は 「平和の基礎」として承認されたのである。

憲法13条で保障される権利は、社会的生活過程を支えている基礎としての権利、人間の生存と尊厳に関わる基礎的な権利であって、この権利を根こそぎ侵害し、剥奪するのが戦争である。この権利を保障する意義は、戦争に対してである》

《一度武力が行使されれば、武装集団相互の死闘によって国民の生活基盤が根底から破壊され、「個人の尊重」に対する重大な侵害が生ずる。これを絶対に許さないというのが憲法13条の趣旨である……》


<一人の人間の生命も
かけがえのないものとして尊重する国家では
戦争は成りたたない>

 ――岩波現代文庫「戦争と戦う」p380――

ここでは、久田栄正はなぜ憲法13条にこだわるのか、が重要である。久田説のねらい・意図は、従来一般に「憲法第9条に依存し過ぎ、戦争を人権の問題としてあまり深く考えなかった」傾向が平和運動等に見られたとの認識のもとに、「人権論重視」の立場から問題提起をなすことにあったとみることができる。

「『個人の尊重』の徹底した国家、すなわち、一人の人間の生命もかけがえのないものとして尊重する国家では、戦争は成りたたない」

「戦争は、その動機や目的には無関係に、交戦状態が発生すれば、無差別に、大量の犠牲が強いられる」

この言葉に、久田の問題意識が凝縮されている。憲法9条中心に議論が展開されていた時期に、「平和の問題を人権論からとらえる」視角を強調しつづけた久田の先駆的意義は過小に評価ざるべきではないだろう。

かくて久田の議論は、他の憲法学者の平和的生存権論とともに、平和的生存権の裁判規範性を承認した長沼一審判決を生み出す前提を作り、この議論の発展に寄与したのである。


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