【きょうの人】 0209 ■夏目漱石 英文学者の顔も ■ 江藤 新平 幕末明治初期の佐賀藩の藩士「佐賀の七賢人」 ■ 南浦紹明(円通大応国師)九州に禅の布教活動 ■ 手塚 治虫 漫画・アニメ表現の開拓者
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 南浦紹明(円通大応国師)九州に禅の布教活動
なんぽしょうみょう
嘉禎元年(1235年)- 延慶元年12月29日(1309年2月9日)
鎌倉時代の臨済宗の僧で、出自については不詳ですが、聖一国師の甥で、駿河国安倍郡井宮村(静岡県静岡市葵区井宮町)の出身です。諱は「紹明」(「しょうみょう」とも「じょうみん」ともよむ)、道号は「南浦」、勅諡号は「円通大応国師」です。(【Wikipedia】を基に作成)
始めは浄弁に就き、数学を学びました。その後、建長寺の道隆に禅を学ぶことになりました。
正元元年に入宋し、虚堂智愚のもとで大悟(学ぶ・悟る)し、文永4年に帰朝(帰国)しました。
筑前興徳寺や崇福寺に重視、30年余の間、九州に禅の布教活動を行いました。
嘉元二年に上洛し、その後鎌倉に下りました。徳治2年北条貞時の帰依を受け、建長寺第13世となりましたが、翌年寂し、「円通大応国師」を諡られました。日本における国師号第一号です。その門下は「大応派」と呼ばれ、大徳寺や妙心寺がそれに属しています。(無量山傳通院寶暦参照)
■ 手塚 治虫 漫画・アニメ表現の開拓者
てづか おさむ、本名:手塚 治
1928年(昭和3年)11月3日 - 1989年(平成元年)2月9日
説明するまでもなく、日本を代表する漫画家であり、アニメーター、アニメ監督としても活躍しました。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画表現の開拓者的な存在として活躍してこられました。
兵庫県宝塚市出身(出生は 大阪府豊能郡豊中町、現在の豊中市)で、同市名誉市民でもあります。大阪帝国大学附属医学専門部を卒業。医師免許取得のち医学博士(奈良県立医科大学)を持っていました。
大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビューしたのですね。知りませんでした。
1958年頃より、各漫画誌で桑田次郎、武内つなよし、横山光輝などの売れっ子漫画家が多数出現していて、手塚は、漫画家達の中の一人に過ぎなくなっていました。そのためにノイローゼにまでかかったという話も残っています。天才にも、その様なことがあるのですね。
幼少期からディズニー映画を愛好していた手塚は、もともとアニメーションに強い関心を持っており、
1961年、手塚は自分のプロダクションである手塚プロダクションに動画部を設立、後に虫プロダクションと改名しています。
1963年に、自作をもとにした、日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながる日本のテレビアニメ制作に多大な影響を及ぼしたことはいうまでもありません。
当時、従兄弟達が、それを見る年代で、テレビにかじりついていたことが、昨日のように思い出されます。
しかし、アニメブームと共に、多くの同業社の乱立・乱作から、コスト競争に直面し、倒産にまで追い込まれました。私の知人が、その時の管財人をしていました。
晩年近く、1980年代になりますと、幕末から明治までの時代に自身のルーツをたどった『陽だまりの樹』(ビッグコミック)など、歴史物で円熟味を示し、青年漫画というJANするに新たな代表作を手がけることになりました。
100歳まで描き続けたいと言っていた手塚は、昏睡状態を断続的に起こしたにもかかわらず、病院のベッドで医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていたそうです。
死に立ち会った人によりますと、「頼むから仕事をさせてくれ」というのが手塚の最後の言葉であったといわれています。
最後まで、漫画・アニメーターだったのですね。
■ 仮名垣 魯文 戯作者
かながき ろぶん
1829年2月9日(文政12年1月6日)- 1894年(明治27年)11月8日
江戸末期から明治初頭にかけての戯作者で、新聞記者もしていました。
江戸の京橋生まれ、本名は野崎文蔵、字は能連、幼名兼吉、また庫七、後に文蔵と改めました。別号に鈍亭、猫々道人(みょうみょうどうじん)などがあり、俳号は香雨亭応一、狂名は斜月窗諸兄です。これらからも、魯文の多才さがうかがえます。
魚屋を営む父野崎佐吉は、俳句や狂歌を好み、文蔵も戯文や小説を好んで育ちました。大きな商家の丁稚となった時に、人相見に、「小説家になれば出世する」と言われ、18才で花笠魯介文京の弟子となりました。
自作の執筆の他に、先輩の仕事の手伝い様々などをこなし、生活のために古道具屋や売薬業も営みました。
筆名は、初め「英(はなぶさ)」または「鈍亭」としていましたが、1873年(明治6年)に、師の魯と文の字を取って仮名垣魯文としました。
代表作に西洋道中膝栗毛(1870-1876年)があり、多数の書を書いています。
■ 江藤 新平 幕末明治初期の佐賀藩の藩士「佐賀の七賢人」
えとう しんぺい
天保5年2月9日(1834年3月18日)- 明治7年(1874年)4月13日
幕末から明治時代の日本の佐賀藩士で、政治家です。幼名は恒太郎・又蔵、諱は胤雄・胤風、号は南白です。
朝臣としての正式な名のりは、平胤雄(たいら の たねお)で、「維新の十傑」、「佐賀の七賢人」の一人に挙げられています。
文久2年(1862年)に脱藩し、京都で活動し、長州藩士の桂小五郎(木戸孝允)や公家の姉小路公知らとの接触があります。
15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行って、幕府が消滅した慶応3年(1867年)に、郡目付となりました。
薩摩藩と長州藩は、公家の岩倉具視と結び、慶応3年12月9日(1868年1月3日)王政復古の大号令を行い、新政府が誕生しますと、佐賀藩も参加し、新平は副島種臣とともに京都に派遣されます。
戊辰戦争で、江藤は東征大総督府軍監に任命され、土佐藩士の小笠原唯八とともに江戸へ偵察に向かいます。薩摩藩の西郷隆盛と幕臣の勝海舟の会談で江戸開城が決定しますと、江藤は城内の文書類を接収しました。
京都へ戻り、大木喬任と連名で岩倉具視に対して江戸を東京と改称すべきこと(東京奠都)を献言しました。
旧幕臣らを中心とする彰義隊が活動していた問題では大村益次郎らとともに討伐を主張し、軍監として上野戦争で戦い、彰義隊勢を寛永寺周辺に追い詰め、さらに佐賀藩のアームストロング砲を遠方射撃する戦術などにより彰義隊は瓦解しました。
江藤の献言が通って明治天皇が行幸して、江戸は東京と改称されました。
明治6年(1873年)には、朝鮮出兵を巡る征韓論問題から発展した政変で西郷隆盛・板垣退助等と共に下野(表舞台からおりる)しました。
佐賀の乱で、江藤は急設された佐賀裁判所で司法省時代の部下であった河野敏鎌によって裁かれ、処刑されました。
■ 夏目漱石 (なつめ そうせき) 本名:金之助
1867年2月9日(慶応3年1月5日)- 1916年(大正5年)12月9日)
日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏
江戸時代末期、牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)の出身で、大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学びました。
帝国大学(現在の東京大学)英文科を卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めました。
イギリスへの留学はその後のことです。精神的な病気にかかったといわれますが、研究に没頭している様を見た人が、その生活態度を見て、「夏目発狂」という噂を流したとも言われています。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』など、次々と傑作を書いて行きます。
その後、朝日新聞社に入社し、『虞美人草』『三四郎』などを掲載したりしています。晩年は、胃潰瘍に悩まされ、『明暗』が絶筆となりました。
。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり、講演録「私の個人主義」も知られている。
新宿の生まれた場所と言われるところには、現在でも「漱石公園」など、ゆかりの地があります。
■ 紹明(円通大応国師)
嘉禎元年(1235年)-- 延慶元年12月29日(1309年2月9日)
南浦紹明(なんぽしょうみょう)
鎌倉時代の臨済宗の僧で、出自については不詳ですが、駿河国安倍郡井宮村(静岡県静岡市葵区井宮町)の出身であることはわかっています。諱は、紹明(「しょうみょう」とも「じょうみん」とも読まれます。道号は南浦、勅諡号は円通大応国師です。
幼くして故郷駿河国の建穂寺に学び、1249年(建長元年)鎌倉建長寺の蘭渓道隆に参禅しました。
1259年(正元元年)宋に渡って、虚堂智愚の法を継いで、1267年(文永4年)日本に帰国して建長寺に戻りました。後に、博多崇福寺の住持をつとめたりしています。
1307年(徳治2年)鎌倉に戻り建長寺の住持となり、1309年(延慶元年)に75歳で死去しました。
門下には、宗峰妙超(大燈国師)、恭翁運良などがいます。
没後の延慶2年(1309年)、後宇多上皇から「円通大応」の国師号が贈られました。これは日本における禅僧に対する国師号の最初です。南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本臨済宗はみなこの法系に属しています。
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