経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 3 北野原との再会は想像だにしないことに

2025-01-31 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 3 北野原との再会は想像だにしないことに 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆7-3 北野原との再会は想像だにしないことに
 ニューヨーク赴任から戻った竹根は、関係先への挨拶回りから始めることにした。その最初が、顕微鏡や関連商品の改良など、仕事上で世話になったケント光学の北野原である。
 北野原のケント光学は、東京の郊外にある。ボートレースで有名な東京競艇場近くであるが、まわりには工場と住宅が混在したところだ。
 北野原自身が、駅まで迎えに来てくれた。会社までの十数分の間、二人はアメリカでの思い出話に花を咲かせた。
 工場内部は、昔と変わらない。研磨工場、組み立て工場、加工工場など、小さいながらも最低限度のことができる設備や人材が揃っている。従業員は、五十人ほどであるが、比較的高齢者が多く、平均年齢は高い。中小企業の典型的な社員構成であろう。
 一通り、アメリカ市場をにらんだ報告と意見交換が終わると、食事に誘われた。まだ、時間的には早いが、十二月の冬の帳(とばり)は落ちていた。
 アルコールは欠かせない北野原だが、下戸の竹根には強要しない。少しアルコールが廻ってくると、相変わらず饒舌になる。
 ひとしきり、子会社や関係会社への福田商事の対応の悪さについて、福田商事関連の他の会社の経営者の声の実例を交えて、あれやこれやと出てきた。中には、アメリカでも聞いたことがいくつか含まれていた。
 アメリカ詣でに来た、いろいろな経営者・管理職の顔が思い出された。彼らも北野原と大同小異のことを言っていた。竹根は福田商事の立場もわかるが、彼らにも言い分があると思った。
――商社とメーカーというのは、やはり立場が異なるので、相容れない部分があるのだ――
 北野原には、子どもがいない。常務をしている田近は、竹根よりいくつか上だから三十五歳くらいになるのであろうか、北野原の甥御さんであることをニューヨークで聞いて知っていた。竹根は、以前田近と話をしたことがあり、人の良さそうな、温和しい人という印象を持っている。それが気に入らないのか、北野原は田近に物足りなさを感じているらしい。
 かなり、アルコールが廻ってきたところで、北野原から思わぬ言葉が口をついて出てきた。
「竹根さん、俺の後を継いでくれませんか」
 かしこまって、頭を深々と垂れたので、冗談ではないことがわかった。
「社長、頭を上げてください」
「竹根さんが、ウンと言ってくれるまで、頭を上げません」
 竹根が狼狽する様子を感じて、「今すぐでなくてもいいですから、考えてみてください」といいながら頭を上げた。
「社長、冗談を言わないでください。私のような若造が、社長の後継者になぞ、なれるわけがないではないですか」
「超一流とは行かないが、曲がりなりにも福田商事は大会社だ。そこのエリートコースに乗っているのだから、やめる気持ちにはなれないかもしれませんが、このままではケント光学の行く末が思いやられるのです」
「私が顕微鏡のことなど全く知らないド素人であることは、社長が一番よく知っているではないですか」
「いや、短期間に竹根さんは顕微鏡のユーザーの立場をよく理解してこられた。竹根さんのレポートを時々見せてもらったが、腹が立つようなことを、ズケズケとよくも書いてきたね」
「済みませんでした。まさか、社長がごらんになるとは思ってもみず、筆の勢いに任せて書きまくってしまいました」
「おれは、そんなあんたが好きだ。福田商事だけでなく、あんたのような、実直な人は少ないよ。それに、角菊さんを相手に、言うべきことは言う、なかなかサラリーマンにはできないことだよ。無理を承知で頼んでいる。この通りだ」
 北野原はまた深々と頭を下げた。
 直視することができないほど北野原の顔は真剣であった。深刻な顔と言ってもよい。
  <続く>

■ バックナンバー
 

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■【きょうのおすすめ】 経営コンサルタントに関するQ&A

2025-01-31 10:03:00 | 【話材】 きょうのおすすめ

■【きょうのおすすめ】 経営コンサルタントに関するQ&A

 経営コンサルタントになるには、資格取得をするには、どのようなことを勉強すべきか、学生が経営コンサルタントを目指すには、いろいろな疑問がおありでしょう。

 書店に行くと、中小企業診断士資格取得関連の書籍はたくさんありますが、以外と経営コンサルタント独立起業の書籍というのはないのです。あっても「中小企業診断士資格」を前提とした書籍ばかりです。

  経営コンサルタントに中小企業診断士資格は必要なのか?

  開業までにどのような準備をしたら良いのか?

  開業費用はどのくらい準備すれば良いのか?

  開業するのにどのような手続が必要なのか?

  コンサルティング・フィーはいくらに設定するのか?

 

 解らないことがたくさんあります。でも、それをどのように解決したら良いのか、その方法が解らない人が大半です。

 経営コンサルタント歴40年余、「コンサルタントのためのコンサルタント」と呼ばれるプロコンサルタントがQ&A形式で回答しています。

 サイト  http://www.glomaconj.com/consultant/faq/index.htm 


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■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 1月30日 ◇中小企業の事業承継・引継ぎ支援 ◇書話力とは ◇神奈川県三浦半島の観音崎は灯台だけではない

2025-01-31 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 1月30日 ◇中小企業の事業承継・引継ぎ支援 ◇書話力とは ◇神奈川県三浦半島の観音崎は灯台だけではない 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 私の後進として会社を託した竹根好助の経営コンサルタント起業経験や、その会社の日常業務、自分の思いなどを「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」として連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

1月30日

 『ロボット掃除機(電池タイプ)』が、税込み550円でかえる時代になりました。
 専用のリフィルが必要で、24枚で100円で購入できるそうですが、どの様な仕組みなのかまだ購入していませんのでわかりません。
 フローリング専用で、吸い込むのではないと言いますので、コロコロに近い方式なのでしょうか。ちゃんと、方向転換もするそうです。
 カラーはブラックとホワイトの2色があり、サイズは約23センチ×5センチといいますので、猫の相手になるという声も多いそうです。

 【カシャリ!ひとり旅】で旅をしてきていますが、写真の整理はなかなか追いつきません。一方で、時間がある時に、一息入れるために、かつてアップロードした写真を見直すこともあります。

 

 

神奈川県  三浦半島 観音崎 

■ 三浦半島(みうらはんとう)
 神奈川県南東部にあり、東京湾を形成する半島です。
 「みうら」という地名は古代から用いられていて、『日本書紀』では「御浦」(みうら)と記載されています。当時は朝廷の所領でしたので、このように「御」をつけて呼ばれていたようです。
 『万葉集』では半島全体を指して「御宇良崎」と「御」という文字が含まれています。しかし、その後「御」の字が避けられるようになり、当て字が使われ『新編相模国風土記稿』では「美宇羅」とされました。
 今日、「三浦」と呼ばれていますが、半島が東・西・南の三方の浦(湾、入り組んだ海岸など)で囲まれていたからであるといわれています。
 
■ 観音崎(かんのんざき)
 神奈川県横須賀市に位置する岬のことで、岬周辺の地域を表す地名としても用いられることがあります。
 観音崎は、三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面し、対岸の房総半島富津岬までは、わずか7km程の近さです。
 半島の先端に、日本最古の灯台である「観音埼灯台」があります。
 灯台付近は「県立観音崎公園」として整備され、観音埼灯台が立地するほか旧日本陸軍が明治10年代から20年代にかけて建設した砲台や弾薬庫跡が多く残っています。
 園内には、このほかに、1953年創立の観音崎自然博物館や、2007年に開館した横須賀美術館があります。
 また、園内には、墓と見られる多くの横穴が崖にみられます。また、海上保安庁東京湾海上交通センター(とうきょうマーチス)の観音埼レーダー施設も公園内にあり、灯台より、この施設の塔のほうが処々から見えます。
 観音崎海水浴場が隣接していて、夏季は海水浴客で賑わいます。他に海上自衛隊観音崎礼砲台があります。
 「観音崎」という名称の由来として、741年(天平13年)に、行基が、この地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったことから、「観音崎」と呼ばれるようになったようです。
 江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていました。
 観音寺は、1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造が始まると、現横須賀鴨居へ移転されました。1986年(昭和61年)には、火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っているだけです。
 


神奈川県三浦半島 観音崎 カシャリ!一人旅
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■【今日のおすすめ】

 【心 de 経営】『書話力』を高める 7108 書話ができる人の日常を参考にする

 「書話力」という聞き慣れない言葉に違和感をお持ちの方が多いでしょう。
 「表現力」という言葉ほど範囲が広くなく、ビジネスパーソンにとってのコミュニケーション術的な意味で「書く力」「話す力」「プレゼンテーション」等というような範囲に限定して、半世紀にわたる経営コンサルタント歴から感じていることを記述しています。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

■【知り得情報】
 政府や自治体も、経営環境に応じて中小企業対策をしています。その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去に、重複することもありますが、お届けしています。

◇《連携》中小企業の事業承継・引継ぎ支援
 中小企業庁と日本弁護士連合会は、中小・小規模事業者を当事者とするM&Aを中心に、中小企業の事業承継・引継ぎに対する支援について、連携を拡充し対応を進めます。
 https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/2025/250109nichibenren.html
   出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

  うまい話は早々多くはない 130

 プッシュホンタイプの電話機での話です。

 下一桁の数字が「1」の場合には、1をダイヤルする代わりにフックボタンをポンと押すと、無料で電話を使えるという噂があり、そのようにダイヤルするようにしました。

 確かに、ポンとするだけでダイヤルをしなくても繋がるのです。1という数字の信号音を、ポンと押すだけで発信するので繋がるのでしょうが、料金は無料ではなく、取られていたと思います。

 

【経営コンサルタントの独り言】

 近年「うまい話」と表現するのは下品なので、「おいしい話」という人が多くなっているような気がします。

 しかし、「おいしい話」がポジティブな内容なら容認もできるかも知れませんが、得てしてネガティブなナイヨウが多いように思えます。

 「うまい話」という表現は、もともとネガティブなニュアンスが含まれています。

 一方で「おいしい」というのは、元来、ポジティブな意味合いを持っています。

 したがって、ネガティブな内容の時には「うまい話」と表現した方が適切と考えます。

 「書話力」という聞き慣れない言葉に違和感をお持ちの方が多いでしょう。
 「表現力」という言葉ほど範囲が広くなく、ビジネスパーソンにとってのコミュニケーション術的な意味で「書く力」「話す力」「プレゼンテーション」等というような範囲に限定して、半世紀にわたる経営コンサルタント歴から感じていることを記述しています。
 「書話力」という聞き慣れない言葉に違和感をお持ちの方が多いでしょう。
 「表現力」という言葉ほど範囲が広くなく、ビジネスパーソンにとってのコミュニケーション術的な意味で「書く力」「話す力」「プレゼンテーション」等というような範囲に限定して、半世紀にわたる経営コンサルタント歴から感じていることを記述しています。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  >> もっと見る


■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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■【きょうの人】 0131 ■ 賓頭盧 びんずるさんと親しまれていますが・・・ ■ 普明国師 春屋 妙葩 ■ 徳川 家康 幼少期は辛い日が多かったそうです

2025-01-31 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0131 ■ 賓頭盧 びんずるさんと親しまれていますが・・・ ■ 普明国師 春屋 妙葩 ■ 徳川 家康 幼少期は辛い日が多かったそうです

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 徳川 家康 幼少期は辛い日が多かったそうです


 とくがわ いえやす、旧字体:德川 家康
 天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日、遡及グレゴリオ暦1543年2月10日)- 元和2年4月17日(グレゴリオ暦1616年6月1日)
 主君 今川義元 → 今川氏真 → 足利義昭 →織田信長[2]→ 豊臣秀吉→豊臣秀頼


 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名で、天下人と呼ばれます。安祥松平家9代当主で、徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖です。

 家系は、三河国の国人土豪・松平氏、旧称は松平元康(まつだいら もとやす)で、戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開き、三英傑のひとりといわれます。

 幼名は、竹千代、通称は次郎三郎で、のちに蔵人佐とも呼ばれていたようです。諱は今川義元より元信(もとのぶ)を授かり、元康とも名乗っていましたが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改めました。

 本姓は、私的には源氏を称していましたが、徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるほど、ブランディングを目的として苗字にはこだわりました。天正16年(1588年)以降に源氏を再び称しています。

 このことから、家康の出自は、それほど良いとは言えず、それを糊塗するための戦略でしょう。そこから読み取れることは、一般に知られるほどには肝が据わった男ではなく、小心な面を持っていたのではないかと、勝手に、独断と偏見でもって感じています。

 家康につきましては、多くを語る必要がないほど、よく知られています。

 

■ 賓頭盧 びんずるさんと親しまれていますが・・・

 

 びんずる
 出没不明

 

 釈迦の弟子の一人で、彼の説法が他の異論反論を許さずライオンのようであったため「獅子吼(ししく)第一」と称されています。

 名は、「ピンドーラ」、姓は「バーラドヴァージャ」で、その名前の意味は、「不動」、「利根」といいます。十六羅漢の筆頭です。

 博識であり慈悲深く十善を尊重し、阿羅漢果により神通力を得たといわれています。白髪長眉の相があったといわれることからも、神通力を持つことがうかがえます。

 自分の身体で悪いところがあれば、そこを撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がりました。

 

■ 普明国師 春屋 妙葩


 ふめいこくし  しゅんおく みょう
 応長元年12月22日(1312年1月31日)-元中5年/嘉慶2年8月12日(1388年9月12日)


 室町時代の臨済宗の禅僧で、室町幕府の帰依を得て臨済宗相国寺の第二世となりました。事実上の開山国師です。

 五山文化の発展に寄与した。ほかに天龍寺や臨川寺の住職をしています。

 春屋は道号、別号に芥室、不軽子など。諡号は知覚普明国師です。

 母方の叔父である夢窓疎石のもとで受戒すると天龍寺の住職となりました。室町幕府に対して、五山第一の南禅寺の楼門(山門)新築を提言しました。

 幕府は楼門建設の援助をしましたが、南禅寺と紛争状態であった園城寺がこれに強く抗議をしました。

 比叡山の門徒もこれに加わり楼門撤去や妙葩の配流を求め、紛争は政治問題にまで発展してしまいました。

 妙葩は頼之と対立して天龍寺住職を辞して阿波国光勝院、さらに丹後国雲門寺に隠棲することになりました。

 1379年(康暦元年/天授5年)の康暦の政変で頼之が失脚した後に入京し、南禅寺住職として復帰しました。

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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■【今日は何の日】 1月31日 愛妻家の日 生命保険の日

2025-01-31 00:03:00 | 【今日は何の日01月


 

  【今日は何の日】 1月31日 愛妻家の日 生命保険の日

 

 

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 生命保険の日

 生命保険のセールスパーソンの集りである(一社)MDRT日本会( http://www.mdrt.jp)が制定しました。

 MDRTそのものは、1927年(昭和2年) 、全米生命保険外務員協会(NALU) の副会長であったポール・クラーク氏がに手紙で呼びかけ、テネシー州メンフィスのホテルに集まったのが始まりです。

 1882(明治15)年1月31日に、生命保険の受取人第一号誕生が報じられたという記録から、この日が選ばれました。

 その理念は、下記の通りです。

  顧客第一主義
  社会貢献
  プロフェッショナリズム
  相互研鑽
  シェアリング

 一家の大黒柱や主婦が他界すると、精神的なショックは当然のことですが、経済的な影響は無視できません。その様なときに、生保というのは大きな助けになります。

 一方で、保険料を納めると言うことは、収入が安定的に、あるレベル以上であれば容易かもしれませんが、そうでない家庭も多い昨今です。

 その様な人でも、生命保険のような仕組みはできないのでしょうか。

 
■ 愛妻家の日

 
 1月の1を、アルファベットのIに見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから、1月31日を「愛妻家の日」日と日本愛妻家協会が制定しました。

  ある統計によると、日本人夫婦の60%が仲が良い夫婦であると認識しているそうです。一方で、別の統計によると「来世でも同じ日とを伴侶にしたいか」という質問に対しては「したい」と回答した日とは20%に充たないとのことです。

  矛盾しているようでもあり、納得できるようでもあります。

  夫は元気で、外で働いて、顔をつきあわすことが少ない方が良いとか、顔を見るのも嫌などと言う奥さんもいる時代です。60%もの夫婦が仲が良いという数値が真実であれば、素晴らしいことと思います。

 「よい(4)ふ(2)ふ(2)」を「よいふうふ」と読ませ、その語呂から、4月22日は「よい夫婦の日」です。出版大手の講談社が1994年に制定しました。
 

■ その他


◇ 防災農地の日


 

(ドアノブ)

【経営者・管理職の皆様へお勧めブログ】 

 ◇ 心 de 経営

 ◇ 経営マガジン 

 ◇ 経営コンサルタントの独り言

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