経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!ひとり旅】 清水園庭園5 清水谷御殿 庭園石橋 新潟県新発田市の名園

2024-11-22 17:00:39 | 【カシャリ!ひとり旅】 北陸

  【カシャリ!ひとり旅】 清水園庭園5 清水谷御殿 庭園石橋 新潟県新発田市の名園 

  若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが<笑い>、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 下手の横好きで続けていますが、その一環で訪れた名所旧跡・庭園等を順次紹介してまいりたいと思います。

 

 
   新潟県新発田市          
 清水園庭園(清水谷御殿)    
 

 清水園は、新潟県新発田市にある池泉廻遊式日本庭園です。新発田駅西口から、徒歩で10分ほどのところにあります。

 清水園は、江戸時代に新発田藩により造られた庭園です。近江八景を取り入れ、中央には草書体の「水」の字をかたどった、大きな池があります。

 池の周囲には、五つの茶室が点在しています。園内の中心となる建物である「清水谷御殿」は、約80坪もありますが、簡素な数寄屋造りの書院ですが、重厚感があります。これは庭園よりも歴史が古いそうです。

 2003年に「旧新発田藩下屋敷庭園および五十公野御茶屋庭園」の名称で、国の名勝に指定されました。

 清水園の庭園は、近江八景を表現した池泉廻遊式日本庭園です。池は、珍しい形をしています。心字池などと言われ、「心」という字をかたどったものが多いですが、ここは、『水』という字の草書体で描かれています。

 四代藩主・溝口重雄(しげかつ)の時代に、幕府庭方であった茶人・縣宗知(あがたそうち)を招きまして、ここに庭園を造営しました。

 池泉の周辺には、5つの茶屋があり、四阿はありませんが、腰掛待合がその代わりをしています。洲浜や中島、小滝など日本庭園に欠かせないものも揃っています。

 新潟を代表する大名庭園のひとつといえ、下越を訪れる機会がありましたらお寄りすることをお薦めします。

 

【アクセス】

 〒957-0056 新潟県新発田市大栄町7丁目9-32

 JR白新線・羽越線 新発田駅より徒歩10分
 開園時間:[3〜10月] 9:00〜17:00・[11〜2月] 9:00〜16:30

 入園料: 大人 700円 小中学生 300円
 

 

 清水園の中心的な建物が「清水谷御殿」です。寄棟造杮葺き平屋建ての極めて簡素な数寄屋風の書院で、約80坪あります。
 江戸幕府に対する政治的な配慮から、簡素を旨としたと考えられます。当時の下屋敷の面影が色濃く残っているといえます。

 

 清水園の庭園は、近江八景を表現しています。池は、珍しい形をしています。心字池などと言われ、「心」という字をかたどったものが多いですが、ここは、『水』という字の草書体で描かれています。
 四代藩主・溝口重雄(しげかつ)の時代に、幕府庭方であった茶人・縣宗知(あがたそうち)を招きまして、ここに庭園を造営しました。

 1946年に、北方文化博物館の分館となった時に、豪農・伊藤文吉により、全体的な修復が行われ、庭師・田中泰阿弥が庭園を復元しました。田中は、新潟県出身で、京都の世界遺産『銀閣寺』の出入り庭師でした。
 清水園を復元した田中泰阿弥自筆の歌碑です。清水園修復に十年かかりましたが、その間に、蛙の鳴き声を詠んだものです。
 2003年に国指定名勝に指定されたときに、五十公野御茶屋庭園とともに、「越後を代表する大名庭園である」と評価されました。

 

 池泉を中心に、庭園内には園路が続いています。

 園路のところどころに橋が架かっています。

 清水園では、個性ある石橋がたくさんあります。
 

清水谷御殿 庭園石橋

 

 

 ナレーションつき映像

 https://youtu.be/1gC3rzQ34_o 23分25秒

 

橋(石橋)
 日本庭園の苑路には、水の意匠が主題である庭園においては、重要な要素である池泉や水流にかけられる橋が不可欠です。
 橋は、自らが庭園景観を構成する意匠の一つとして、庭園と調和する一方で、庭園を回遊する際の実用的な園路の一部として機能します。
 浄土式庭園において橋は、『この世』と『あの世』を隔てる『三途の川』を渡るための、露地における『中門』的な役割をもっていました。
 枯山水庭園においてよく用いられる石橋は、実用的な園路というよりは水景表現の一つの手段となっていました。

 構造別の分類としては、丸木橋、板橋、桁橋、跳ね橋、材質的な分類では、土橋や木橋、石橋などがあります。形式による分類で、平橋、反橋、太鼓橋、八橋、すのこ橋、俎板橋(まないたばし)、汐見橋、屋根付きの廊橋・亭橋(ていきょう)などに分類できます。
 
 

 カシャリ! ひとり旅 


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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 5 かほりからの電話は?

2024-11-22 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 5 かほりからの電話は? 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆6-5 かほりからの電話は?
 日本に戻った竹根の正月、一枚だけの年賀状で母が大車輪。
 母のすすめで、年賀状の主、かほりに、胸を高鳴らせながら電話をしたが、つっけんどんな中年女性の不在返事に、嫌な予感がした。
 夕方、かほりから電話があった。
「今朝ほどは特別に用事があるわけではないのに電話をして済みません」
 かほりは、返す言葉に詰まったように一瞬間があった。「明日、友達と神田明神で待ち合わせをしています。もし、よろしかったら竹根さんもご一緒しませんか」と思わぬ言葉が続いた。
 待ち合わせの時間を確認して、出かけることになった。竹根の母はうれしそうであった。
 翌日、時間より十五分前に竹根は約束の場所に着くと、もうかほりはそこで待っていた。
「あれ、ごめんなさい。遅くなっちゃって。お友達はまだですか?」
「実は、友達と待ち合わせなんて、嘘なんです」
 両肩を上げて、にこりとしたかほりの答えに竹根は驚いた。
――あのかほりさんが、このようなことをするなんて――
「実は、今日、婚約者の家族がうちに来ることになっていたんです。それが嫌で、何とか口実をつってでも、家にいたくなかったの」
「私が、かほりさんに嘘をつかせてしまったというわけですか?」
「竹根さんをだしに使って、ごめんなさい。先日も言いましたが、私はまだ結婚をする気持ちはないの」
 きっぱりというかほりの気持ちが、やはり竹根にはわからない。
「だけど、なんで神田明神なんですか?」
「だって、竹根さんのアメリカでのビジネスが上手に進むようにお願いしたかったんだもん」
 今までのかほりのイメージにはない、そのはしゃぎように戸惑いを覚えた。
 お参りも済ませ、お茶の水の方向に何とはなしに歩き出した。今の状況が、信じられない竹根である。あのかほりが今自分の右側に寄り添うように歩いている。
 御茶ノ水の駅前の喫茶店で、何時間も二人で過ごした。別れる時は、あと一分でもいいから一緒にいたい、これが今生の別れになるのかもしれないと言うくらい、竹根はつらかった。
  <続く>

■ バックナンバー
 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月21日 ◇江戸鎖国の功罪 ◇渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

2024-11-22 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月21日 ◇江戸鎖国の功罪 ◇渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

  私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

11月21日

 四季ではなく二季になってしまったという声をしばしば聞くようになりました。

 真冬の寒さがやってきた感じです。

 ちょっと空き時間ができましたので、写真集を開いてみました。庭園めぐりの旅を始めてからはまだ日が浅いですが、それ以前に撮りためた名所旧跡・寺社仏閣の写真は、全国各地の漫遊結果です。

 

◆渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

 

「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で感じて、見て、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています

 

東京  北区 飛鳥山
  http://www.asukayama.jp/asukayama/as02/as02.html 

 飛鳥山は、東京都北区の南部に位置します公園です。1873年(明治6)の太政官布達により指定された日本最初の公園として知られています。

 日本橋から2里(約8キロ)という、日帰り可能な距離であった飛鳥山は、八代将軍徳川吉宗が1270本もの桜を植えて開放して以来の、水茶屋(湯茶サービス付き休息所)の設置を許可し、庶民の憩いの場となりました。上野・浅草・芝・深川、そして飛鳥山の5公園が、桜の名所として指定されました。時代により姿を変えつつも、飛鳥山公園は今も人々に親しまれています。

 富士山や筑波山の眺望も楽しめる上、付近には王子稲荷などの社寺や滝などの見どころもあり、四季を通じての絶好の行楽地です。

 園内には、紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢史料館の3つの博物館があります。この公園は、渋沢栄一翁が、初めは別荘として、後に曖依村荘(あいいそんそう)とよばれる邸宅としていました。
 

桜の季節の晩香廬
ツツジの季節も良さそうです。

東京北区 飛鳥山公園more ←クリック

 

 

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。 

■【今日は何の日】 11月22日 小雪 いい夫婦の日 

■【今日のおすすめ】

 成功企業・元気な会社・頑張っている社長】  「どんな時でも酒は必要とされるもの」、誇りをもってビジネス展開 3527-4a29

 「お酒」といいますと、あまりよいイメージを持たない人もいるかも知れません。

 その酒で、元気になっている会社がありますので、ご紹介します。

 不況な時代でも、元気な会社、はりっきっている社長さんがいます。

 彼等の多くに共通していることが「不況に強い企業でありたい」ということです。

 不況期でも普通に経営できる、「普況」という考え方を持ちたいです。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

■ 鎖国政策と殖産 b21

「殖産」ということばは、あまり馴染みがないかもしれませんね。
 鎖国政策を転換し、欧米列強に勝つためには産業振興しなければなりませんでした。
 大隈重信は、開国五十年史「又諸国の大名が乱世にも殖産興業を勉励したるは」で、明治政府のあり方を説いています。
「殖産」とは「生産物をふやすこと。産業を盛んにすること。(広辞苑第六版)」と説明されています。
 その思想を若者にも定着させようと1884(明治17)年11月21日に、「商業学校通則」が制定されました。日本の産業教育制度が創設されたのです。
 今日では、IoTやAIなどを核に産業振興が推進されています。
 11月21日は、「インターネット記念日」です。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  >> もっと見る

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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■【季節 一口情報】 二十四節気 小雪 雪がちらつきはじめる季節の到来

2024-11-22 07:03:00 | 【話材】 季節

 

  【季節 一口情報】 二十四節気  ■22 小雪  雪がちらつきはじめる季節の到来

 

お節介焼き経営コンサルタント」が、経営やコンサルティングに関する情報だけではなく、日常生活に役に立つような情報、旅行や写真などの会話を潤滑にするために情報などもお届けしています。

「日本には四季がある」といいます。それに伴い、四季を表すいろいろな言葉もあります。二十四節気は、四季を感ずる契機となります。それらの中から、話材になるような、選りすぐりの情報を中心にご紹介して参ります。

■22 小雪  雪がちらつきはじめる季節の到来  (年により異なる)



 「小雪」は、「こゆき」でも、女優の小雪さんでもなく、二十四節気の一つであります「小雪(しょうせつ)」です。

 定気法では、太陽黄経が240度のときで11月22日前後に当たり、次の節気の大雪前日までを指します。恒気法では、冬至から12分の11(約334.81日)が経過した頃を指します。

 西洋占星術では、小雪を「人馬宮(いて座)」の始まりとしています。 

  この頃は、雪がちらつきはじめる季節の到来を告げてくれます。南国では、ナツミカンが実る頃と言われています。

                                                                                 
七十二候 小雪 

 初候  虹蔵不見(にじかくれてみえず)     虹を見かけなくなる

 次候  朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)  北風が木の葉を払い除ける
 末候  橘始黄(たちばなはじめてきばむ)   橘の実が黄色くなり始める 

 

■ 二十四節気・七十二候とは

 

 二十四節気は、中国の戦国時代にの頃、季節を春夏秋冬の四季に等区分し、季節を表す暦のようなものとして考案されました。

 二十四節気は、一年を四等分し、さらにそれぞれを三等分し、一年を12の「節気」としました。されにそれを12の「中気」に分類し、各々に、季節を表す名前がつけられました。

 二十四節気は、機械的に等分したので、季節の現状に近い、太陰暦とも季節感がずれてしまっています。生活上は、不便ですので、暦と季節のずれを補正した太陰太陽暦を用いることになりました。

 そこで、日本では、二十四節気のほかに、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる、日本独自の季節の区分を採用しています。 

 旧暦には、これらが記載されていますが、月例であります「1朔日間(およそ29.5日)」が太陽暦とズレるために、二十四節気の日付は、毎年異なってしまうのです。その誤差は、許容範囲といえるのか、四立や八節に加えて、各気各候に応じた自然の特徴がついかされていて、これを「七十二候」としています。二十四節気をさらに約5日ずつに分けた区分です。これらは、農事暦として今日でも使われています。

 

 

◆【季節 一口情報】バックナンバー ←クリック


【経営コンサルタントの育成と資格付与】

 

since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 詳しくは、サイトでご覧下さい。 

 

   https://www.jmca.or.jp/


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■【今日は何の日】 11月22日 小雪 いい夫婦の日 

2024-11-22 00:03:00 | 【今日は何の日11月】

 

  【今日は何の日】 11月22日 大工さんの日 小雪 いい夫婦の日 

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。

   詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 小雪

 今日は、「小雪」です。「こゆき」でも、女優の小雪さんでもなく、二十四節気の一つである「小雪(しょうせつ)」です。

 この頃は、雪がちらつきはじめる季節の到来を告げてくれます。

 南国では、ナツミカンが実る頃と言われています。

 

■ 大工さんの日

 日本建築大工技能士会が1999(平成11)年に制定しました。

 11月が「技能尊重月間」であること、「十一」を組み合わせると「士」となり「建築士」にふさわしいこと、22日は大工の神様とされる聖徳太子の命日(622年2月22日)であること、「11二二」を組み合わせると、11はニ本の柱を表わし、ニは土台と梁あるいは桁を表して軸組合の構造体となり、11月22日が大工との関係が密接であることから、この日に決まりました。

 かつては、徒弟制度で後進育成がなされましたが、バラツキもあり、大型建築などのニーズに対応できる人を養成する必要にも迫られ、大工技能士の制度ができました。

 同会のウェブサイトによりますと、以下のように説明されています。

 昭和32年5月15日、建築士法の一部改正が行なわれ、以前から、日本国有の風土に根ざした建築を守り、住み手と共に歩む魅力のある建築士会をつくりたいと考えていた有志は、初代会長に故今和次郎氏(早稲田大学教授)を迎えて昭和33年9月6日、全日本建築士会設立総会が開かれました。

 翌昭和34年3月6日には、建設省から社団法人の認可を受け、正式に社団法人全日本建築士会がスタートしました。その後、歴代会長のもと、一貫して建築文化の発展を目指して、様々な活動を進めてきましたが、近年の公益法人全体の見直し改革により、本会も平成25年4月1日より、内閣府より一般社団法人全日本建築士会として認可され、長年の歴史の上に新たな歩みを始めることとなりました。

  本会の設立主旨でもある木造建築文化の進展は、特に今日の環境問題との関連でも益々重要視されてきています。わが国の建築文化の継承と発展に向かって多くの建築士の皆さんが全日本建築士会とともに歩まれることを期待しています。

 

■ いい夫婦の日

 「いい(11)ふ(2)ふ(2)」を「いいふうふ」と読ませ、その語呂から、11月22日は「夫婦の日」です。

 ある統計によると、日本人夫婦の60%が仲が良い夫婦であると認識しているそうです。一方で、別の統計によると「来世でも同じ日とを伴侶にしたいか」という質問に対しては「したい」と回答した日とは20%に充たないとのことです。

 矛盾しているようでもあり、納得できるようでもあります。

 夫は元気で、外で働いて、顔をつきあわすことが少ない方が良いとか、顔を見るのも嫌などと言う奥さんもいる時代です。60%もの夫婦が仲が良いという数値が真実であれば、素晴らしいことと思います。

 1月の1を、アルファベットのIに見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから、1月31日を「愛妻家の日」日と日本愛妻家協会が制定しました。

 同様に、2月2日は「夫婦の日」、4月22日が「よい夫婦の日」、11月22日が「いい夫婦の日」11月23日が「いい夫妻の日」です。

 因みに、毎月22日は「夫婦の日」ですので、毎月この日に奥さん孝行をしてはどうでしょうか。エッ!!そういう自分が・・・ ハイハイ、わかりました。「まず隗より始めよですね。

(ドアノブ)

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