経営コンサルタントへの道

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【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 盛岡3 盛岡城址公園を巡る

2021-10-04 13:22:09 | 【カシャリ!ひとり旅】 青森・岩手・秋田

【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 盛岡3 盛岡城址公園を巡る

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

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■■ 岩手県盛岡市 

 

 盛岡市は、岩手県の中部に位置し、岩手県の県庁所在地です。今日では、人口30万人を擁し、岩手県内最大の都市として、政治、経済、交通の中心となっています。

 東京からは、新幹線はやぶざに乗りますと2時間強で着くことができます。





http://www.city.morioka.iwate.jp/


 岩手県の内陸部、北上盆地のほぼ中央部に位置しますが、市内中心部で、主流北上川に雫石川、中津川が合流する水の都でもあります。

 

 

■盛岡を巡る3 盛岡城址公園を巡る

 「バエ」「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で見て、感じて、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。


 今回は、「盛岡城址公園を巡る」を紹介します。


 青森・三戸に拠点をおいていた南部信直が、豊臣秀吉より岩手郡など7郡の領有が承認され、盛岡城築城に着手しました。南部藩の拠点として歴史機を語り、こんにちでは市民の憩いの場として、また、桜や紅葉の名所としても知られています。 7.5分

 


 

市内案内板より

 

 盛岡駅からはでんでんむし号で、盛岡城跡公園前で下車します。路線バスの場合は、内丸バス停での下車となります。盛岡駅からあるいても15分から20分程度のところにありますので、気軽に寄ることができます。

 私は、桜山神社や烏帽子岩を見学してからでしたので、すぐとなりという感じで、三の丸から入ることにしました。
 

 

三の丸跡

 

盛岡市・城址公園・啄木歌碑

 

盛岡城址公園 啄木歌碑


 三の丸に続く、公園に、盛岡をたたえる、石川啄木の歌碑が目に留まりました。
 盛岡城は、それ以前は「不来方(こずかた)城」と呼ばれていました。啄木の少年時代に、しばしば訪れた場所だそうです。
 南部藩士の庭石に「不来方」という言葉を込めて作った句です。

 多くの公園で見られるように、ここにも記念碑がありました。

盛岡市・城址公園・二の丸の石垣


 盛岡城は、北上川と中津川の合流地点に位置し、二の丸から見る下までの高さが、相当あることがわかります。おそらく要塞堅固なお城だったのでしょう。

 

 お城の好きな人から見れば、その素晴らしさを、このような場所にも見ることができるのではないでしょうか。

 二の丸を、さらに進んでゆきますと、朱色の構造物が目に入ってきました。二の丸から、本丸にかかる橋です。

 

 橋の下までは、かなりの高さがあり、この辺りにも要塞堅固な城であったことがうかがえます。


盛岡市・城址公園・本丸

 

 本丸には、今は天守閣はなく、そこには陸軍軍人の南部利祥の銅像台座があるのみです。

 南部利祥(なんぶ としなが  1882年(明治15年)1月25日- 1905年(明治38年)3月4日)は、日本の陸軍軍人で、最後の盛岡藩主・南部利恭の長男で、南部家第42代当主でした。

 

 陸軍騎兵の中尉で、日露戦争が勃発すると、利祥は満州の最前線で活動し、伯爵の爵位を与えられました。
 

盛岡市・城址公園・本丸淡路丸の石垣

 

 本丸から一段したの腰曲輪に降りますと、堅固な石垣がよく見えます。


 本丸の南角には、本丸の天守閣を守るための櫓がありました。淡路丸という名前が付いています。けっして、漁船の名前ではありません。

 かつて、青森の三戸に拠点をおいていた南部信直(なんぶのぶなお)ですが、豊臣秀吉により、1590年(天正18)に、岩手郡などの領地7郡の領有が承認されました。

 

 信直は、盛岡城築城に着手し、1597年(慶長2)には鋤初(起工式)をしたと伝えられ、翌年の許可を受けて本格的な築城を開始しました。


盛岡市・城址公園・彦御蔵

 

 腰曲輪とは、城の守りを堅くするために、主要な曲輪の周囲に配された、細い曲輪のことを言います。盛岡城では、本丸の、東・南・西の三方を囲む、一段低い区画として、腰曲輪が巡らされています。

 腰曲輪の南側から下りますと、天守閣のある本丸を守るための内堀にあたる、せせらぎがあり、せせらぎの音に疲れが癒やされました。

 せせらぎにそってさらに進みますと、蔵のような建物が見えてきました。


 「彦御蔵」です。この建物は盛岡城内に現存する、唯一の建物です。残念ながら、棟札がなく、建築年代は不明です。江戸後期に建てられた蔵であろうと推察されています。

 土蔵造りの木造二階建てです。外壁は、漆喰塗り仕上げで、屋根は、野地板の上に土塗りがされています。その上に、木造の屋根組がある、二重構造で、その上に瓦が葺かれています。外気の影響を抑える構造です。

 内部は、中央に八角形の棟持ち柱が三本あり、建物を支えています。中央西切りがあり、二か所の入口があることから、用途の異なる道具類が納められていたようです。
 

 

【 注 】

 盛岡市の映像シリーズには、たくさんの写真が紹介されていますので、是非、下記のURLよりお楽しみください。

 

盛岡を巡る 3
盛岡城址公園
南部藩の拠点・盛岡城址を核にした、市民憩いの地


 「盛岡を巡る映像シリーズ」では、豊富な写真や動画を編集して、わかりやすい解説を付けて映像化しています。

 日本全国、カシャリとした写真や動画をお楽しみ下さい。

 

 【 注 】 ユーチューブだけではなく、ブログ・サイトでも紹介しています。

http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 

 


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