■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 09 かたち・心ざまよき人も
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆09 かたち・心ざまよき人も、才なくなりぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ち交じりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわぎなれ。
【語彙】
かたち: 器量
才: 「ざえ」と読み、漢学を含む学問的素養やその他の才能
かけず: 問題にもされない、相手にされない
けおす: 気圧(けお)する、圧倒する
本意なし: 不本意な
【現代語訳】
容姿や心根の良い気立ての人でも、学問など才能が弱くなってしまいますと、必ずと言って良いほど、身分の低い,顔の良くない人の中に混じった時に、圧倒されてしまうことがあり、それは大変に残念なことです。
【ひと言】
前の段落で、兼好は、家柄や顔の善し悪しは、生まれ持ってきなものですが、考え方や知識などは後天的なものなので、努力次第で変えることができますと記述しています。
容姿や心の美しい人でも、学問などの素養が身についていませんと、品格や容貌の好ましくない人と区別が難しくなってしまうと書いています。
「朱に交われば赤くなる」という言葉がありますが、その逆を言っているのでしょう。
「才(ざい)」とは、学問的素養、とりわけ、当時は漢学の素養をさすそうです。
兼好は、念頭には、それらをおいていると思いますが、学問だけではなく、芸術・芸能や匠の技なども広く含んだことにおいていえるのではないでしょうか。
「一芸に秀でる者は多芸に通ず」と言います。何かに秀でていますと、新たにことを始めたいというときに、それが直接・間接的に活かされることが多いです。
「人間死ぬまで勉強」という言葉もあります。奢らず、謙虚に、日々努力することが、人生を豊かにしてくれると信じています。
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