■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-4 松岬神社 上杉家が祀られる
「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。
とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。
皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。
私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。
素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。
米沢市 2-4 |
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公式サイト パンフレット 関連記事(秘) | |||
■ 米沢市(よねざわし) 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。 |
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米沢市資料より |
米沢市 松岬神社 |
■ 松岬神社(まつざきじんじゃ) 明治35年、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が、松岬神社に分祀されました。鷹山の功績の大きさを示すといえます。 大正元年に新殿が造営され、9月28日遷座祭が斎行され、神社格式で県社にランクされています。 また、その時に、新饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうぐしんじんじゃ)に指定されています。 |
↑ 拡大 ピンボケで済みません |
県社格の神社であることが石柱からもわかります |
神社鳥居左にある池 |
池の奥に立石灯籠 |
松岬神社拝殿 |
松岬神社扁額と錫 2020年から流行しだした新型コロナの対策から、 錫の紐は取り払われています |
手水場もコロナの対策からひしゃくがありません |
↑ 拡大 鷹山の伝国の辞 |
「伝国の辞(でんこくのじ)」は、鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得です。 一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 右三条御遺念有間敷候事天明五巳年二月七日 治憲 花押 治広殿 机前 意訳は、以下の通りです。 一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。 一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。 一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。 この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。 伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されました。 |
松岬神社境内のもみじ |
観光客を当時の装束を身につけた人が迎えてくれています |
松岬神社前の錦の絨毯 |
松岬神社角に立つ大銀杏 |