【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。
日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。
下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。
■ 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015
薬師公園に国分寺薬師堂と本堂裏に庭園があります。もともとは山形城主・松平忠弘が作庭した『旧宝幢寺庭園(もみじ公園)』にあった本堂が移築されました。
大きな堂宇の裏に弁天池のある庭園があります。明治時代の1884年に、県令・三島通庸が開いた『千歳園』の名残です。
国分寺の創建は、天平13年(741)、聖武天皇が仏教による国家鎮護のために、国司や郡司に詔を発して建立させた寺院です。創建時には別の場所にあり、その場所は不明ですが、伝承によれば、平安時代末期から鎌倉時代初期に、出羽国府が山形に移転され、その際に国分寺が、この地に移転されたようです。
江戸時代には徳川家の庇護を受けて寛永寺直末寺院となり、天台宗の触頭として末寺23ヵ寺を擁するほどになりました。しかし、明治時代以降は徳川家の庇護を得られず存続困難となり、明治時代の神仏分離令により、隣接する柏山寺の管理となりました。
当時の薬師堂は明治44年の山形市北部大火により焼失し、廃寺となっていた宝幢寺本堂を移築したのが現在の薬師堂です。
境内は、薬師公園の中央に位置し、毎年5月8日~10日の祭礼には、全国三大植木市のひとつ「薬師祭植木市」が開催されます。
準備中
ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】
写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。
静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています