【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業1 人選 2 鶏口牛後
■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業
私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】
エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
まさか竹根に白羽の矢が立つことはないだろう・・・
■■ 1 人選
竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話をご紹介します。
◆1-2 鶏口牛後
竹根は、本日の報告を終わると、竹根の商社マンとしてのサラリーマン時代の話の続きを始めました。まだ社歴の浅い竹根がアメリカ駐在員の候補になっていることに不満の声も出てきていました。
竹根は、サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守っていました。
今回の駐在員を派遣するということは、すでに噂として事業部内では周知の事実である。三十代後半の第二課の伊田課長が最有力であるが、竹根と同じ課の長池係長も捨てきれないというのが下馬評である。
福田商事に竹根が入社したときには、二部上場企業であった。竹根は、母親から『鶏口牛後』『鶏頭となるも牛尾となるなかれ』という教育を受けていたから、「おまえならどこの大学でも、たとえ超一流どころにも入学できる」と、高校の進学指導で合格印を押されたのにもかかわらず、それを避けて、東慶大学に入学した。就職の時も、当時三井菱商事が業界のトップ企業であったにもかかわらず、福田商事に入社した。超一流ドコロでは、上が閊(つか)えて、実力を発揮する場が少ないだろうし、歯車の一つに過ぎないような位置づけを好まない竹根である。
<続く>
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