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【日本庭園を知って楽しむ】3-07 初心者のための知っておくべき分類 - 大名庭園

2024-10-25 17:03:00 | 【カシャリ!一人旅】 日本庭園を知る


  【日本庭園を知って楽しむ】3-07 初心者のための知っておくべき分類 - 大名庭園      

  若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

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 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

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■■3 日本庭園の分類
 日本庭園は、一律ではなくいくつかに分類することができます。しかし、その分類法は、どのような視点で見るかによって分類方法が異なります。
 ここではいくつかの視点に分けて分類をします。

3-07 初心者のための知っておくべき分類 - 大名庭園
 大名庭園(だいみょうていえん)とは、江戸幕府政権下の江戸時代において、各藩の大名が江戸や地元で築造した庭園が中心です。
 17世紀も中期になると町人の文化が栄え,華やかな風潮が支配する時期を迎えたが,庭園も広い芝生をとった明るいものになりました。
 徳川家康が政権をとり、参勤交代制度が始まると、大名たちは江戸と領国の両方に庭園のある邸宅や別邸を構えるようになりました。各藩が、それぞれ競い合うようにしたことから、造園技術が発達し、その結果、江戸時代に日本庭園築造技術が大きく発展したといえます。

 江戸時代初期には、しばしば王朝風と呼ばれる平安時代以降の伝統的な、または安土桃山時代に発達した豪華絢爛な池庭や枯山水、あるいは禅院で発達した枯淡な枯山水や露地から出発し書院造に影響を与える茶庭など多くの様式が並存する時代でした。
 中世のように池泉にも石組みを多く使わず、石を使うときも、捨石といって要所に1個だけを捨てたかのように配することが行われました。まるみのある石が好んで使われたのは、このころです。
 18世紀初期、柳沢吉保がつくった江戸の六義園(りくぎえん)は,和歌趣味にあふれた明るい庭として有名です。岡山の茶屋屋敷の庭(現在、岡山後楽園という)も芝生を主とした庭です。四国の高松にある栗林荘(りつりんそう)もやはり大名の別荘です(栗林公園)。この栗林荘を造営した松平氏が水戸の徳川家を継いだとき、同家の後楽園(江戸)を当世風に大改造し中国風をやわらげたのも、この時代すなわち18世紀初期のころです。
 18世紀後半になりますと、二つの特徴があらわれました。
 一つは著しい園芸の流行で、江戸ではある地域一帯に植木屋が軒を並べて花園を開放し,江戸市民の名所になりました。これが大名の庭園にも入って,後楽園が再度改造され、庭園内に草花が植えられたのです。また,江戸の隅田川東岸の向島(むこうじま)に町人がつくった百花園(ひやつかえん)は草花ばかりの庭園であり、しかも営業として成立したのです。
 もう一つの特徴は、大名庭で庶民に開放されるものがでてきたことです。水戸の偕楽園や白河の南湖がそれにあたります。庶民といっても一般大衆すべてとはいきませんでしたが,近代の公園へ結びつくものとして重要なことです。

 やがて、これらの様式が集大成される回遊式庭園が誕生しました。大名庭園は、これらの庭園の総称であって、様式名ではありません。
 各藩は、大名庭園を遊興や、日本武術の馬術用馬場や弓術用の的場など、多様な使い方をしました。回遊形式を取り入れた庭園ができると、その構造から、散歩・散策などを楽しむ空間として利用されるようになったのです。また造園技術に関して各藩間で技術交流が行なわれ、園芸学や博物学などもそれに伴って発達してきました。
 池のまわりを回遊して観賞する回遊形式により、庭園内の景観として、自分の好む名勝地をモチーフとし、それに関するものが配されました。庭園が、自分達だけのものではなく、庶民の遊観所ともなり、その景観のアクセントもなるような、また利用上からも、休憩所としての茶屋や御堂、四阿を建てました。
 これらの建物と庭景観とをマッチングさせ、順路にそって回遊しやすくしました。その結果、時間とともに、つぎつぎと展開されていく変化の多い景観の庭園となって行きました。広々した池面に出る前に、うっそうと茂った木立を通り、山々を通りぬけるときも変化にとんだ建物や橋で訪れた人を楽しませてくれるのです。
 当時の江戸では、面積の約50パーセントが、このような大名庭園と大名屋敷で占められていたといわれています。これらの庭園は、明治期にいったんは下火になったものの、当時の上流層の大邸宅に、この形式が蘇ってきました。

(【Wikipedia】、重森完途氏・コトバンクを参照して作成)

■ 日本を代表する庭園        
      都道府県別    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 ■ カシャリ! ひとり旅



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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