【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県弘前市 桜の名所「弘前公園」 弘前城と桜 12201
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。
日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。
下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。
■ 青森県弘前市 桜の名所「弘前公園」1 弘前城と桜
弘前公園は、青森県弘前市にある日本の代表的な公園の一つです。弘前城(ひろさきじょう、ひろさきじょう)は、1611年に築城された平山様式の、弘前藩47,000石の戸間大名である津軽氏の本拠地でした。総面積約49万2000平方メートル(約14万9000坪)にもおよぶ広大な敷地を持ちます。高岡城(鷹岡城または高岡城、高岡城)とも呼ばれていました。
弘前城は、現存十二天守の一つであり国指定史跡で、日本100名城にも選ばれています。
城郭は、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城です。創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、総面積38万5200平方メートルに及びました。
創建当初の天守閣は、落雷で焼失しました。再建を目論みましたが、当時の徳川幕府の厳しい監視のために、櫓を建てるという名目で再建し、それを現在の場所に移動して天守としたと伝えられています。
堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめています。現存する建築は、いずれも国の重要文化財に指定されています。司馬遼太郎は、紀行文集『街道をゆく - 北のまほろば』で、弘前城を「日本七名城の一つ」と紹介しています。
弘前公園は、日本さくら名所100選に選ばれるほどの桜の名所としても知られています。毎年4月には「弘前さくらまつり」が開催され、約50種、約2,600本の桜が咲き誇ります。日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選、美しい日本の歴史的風土100選、人と自然が織りなす日本の風景百選、平成百景に選定されています。
アクセス
JR奥羽本線 弘前駅より約2km(徒歩25分)
路線バス多数
弘前市内に複数箇所のレンタサイクルがあります
〒036-8356 青森県弘前市下白銀町1
ハナイカダの外堀
丑寅櫓
下乗橋から見た天守閣
鶴の松
アイグロマッ (マッ科 )は、
幹周2.4メートル、樹高6メートル、
推定樹齢300年以上の松です。
鷹揚園内随一の名木といわれ、老鶴形に仕立てられ、美しく、
優雅な形をしているところから「鶴の松」とよばれています。
向いにある石垣の中心に「亀の石」とよばれる大石があり、
鶴亀として、並び称されています。
御滝桜にも近く、天守閣に向かう人の多くは、目を奪われます。
天守閣
創建当初の天守閣は、落雷で焼失しました。
再建を目論みましたが、当時の徳川幕府の厳しい監視のために、
櫓を建てるという名目で再建し、
それを現在の場所に移動して天守としたと伝えられています。
そのために小降りの天守です。
国内に現存する建設時のままの12天守のひとつです。
岩木山を背景にした天守
岩木山
天守閣から見下ろす桜
天守から見る蓮池
二の丸東門与力番所
与力番所とは、とは、城内の主要な箇所の見張り所として配置されたもので、藩政時代には追手門与力番所、三の丸東門与力番所等12ケ所に建てられていたようてす。
この与力番所の建築年代は定かではありませんが、柱や梁に残された墨書きは江戸時代初期に建てられた三の丸東門の墨書き跡と酷似し、構築手法は、江戸時代中期の様相を呈していることから、古材を利用し、江戸時代中期に一度改修したものと推定されます。
魔藩以降取り壌されることもなく、そのまま放置されていたものを、大正四年頃に現在緑の相談所が建てられている、その東側に曳家移築し、以後、公園管理人宿舎や作業員詰所として使用していました。
それを昭和五十四年から三ヶ年をかけ、文化庁の指導協力を得て、再度復元移築したものです。
東内門
南内門
大銀杏
イチョウ (イチョウ科 )、幹周6メートル、
樹高が 約32メートル、推定樹齢300年以上と見られています。
大銀杏の気根
この樹は、藩政時代にあった矢場の土塁上に植えられたものと思われ、
後年、土塁が壊されたために根が露出することなり、
盆栽の根上がり仕立てのようになってしまいました。
イチョウは、元来気根が発達しやすい特徴を持っていて、
長寿のものが多いのです。
中国原産で室町時代に、わが国に渡来したと考えられています。
雌雄異株で、この樹は雄木であることがわかっています。
埋門跡(うずみもんあと)
埋門は、石垣などの間に築かれる裏門の一形式で、
延宝4四(1676)年)の規定によると、
普段は扉を閉めていたそうです。
馬屋町一帯は外曲輪(そとくるわ)でしたが、
天和二(1682)年に川筋の整備に伴って、
郭外の扱いとなりました。
現在の石垣は、紀年銘から天保年間に整備されたことわかります。
東門
リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
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ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】
写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。
静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています