■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 04 その子・孫までは、はふれにたれど
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆04 その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時にあひ、したり顔なるも、自らはいみじと思ふらめど、いと口惜し。
【語彙】
はふる: 落ちぶれる
ど: 「~けれども」と逆説表現ではなく、「どんなに~でも」と仮定表現
なほ: やはり
なまめかし: 優雅である
ほど: 程度応じて
時: 時勢、良い時代
時にあひ: 「時に会う」のことで、「時流に乗って」の意
いみじ: 立派
口惜し: 感心できない、同意できない
【現代語訳】
その子や孫の代までは、たとえ落ちぶれても、依然として品があり、優雅さが保たれています。
その人達よりさらに下方の身分の人は、それなりに身分相応で、時代の流れに乗って出世をし、得意満面な顔をしていて、自分自身は立派であると思い込んでいるようですが、あまり感心できることではありません。
【ひと言】
紫式部の源氏物語などに、落ちぶれた貴族についての巻があります。
貴族など、高貴な人達は、たとえ落ちぶれても、それなりのものを持っていることがわかります。
一方で、自分は、高貴な出の人間だから尊いのだと鼻にかけて、鼻持ちならない人もいるのかもしれません。
推理小説などに出て来る、イギリスの貴族に、それが描かれていることがありますね。
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