23日朝は、お宿の車で
福島駅まで送って頂きました。
さあ、あとは大阪へ帰るのみなのですが、
夜行バスなので、時間たっぷりです。
(時間ありすぎて困ってしまいますが。)
全く予備知識なしなので、
駅前の地図を見て、
市内散策でもしようと思います。
福島駅西口ね。↓
県庁の隣の公園に
牧水の歌碑があるらしく、
「へえ、こんなところにも
牧水さんやってきたんだ。」
と思って、
行ってみることにしました。
県庁の建物ね。↓
さすが、駐車場には、
自衛隊の災害支援のトラックが
2,3台とまっています。
公園は阿武隈川のすぐそばにありました。
牧水さんの歌碑があります。 ↓
もう刻字がかすれてよく読めませんが、
「 つばくらめ ちちととびかひ阿武隈の
きしの桃のはな いまさかりなり 」
と、あるようです。
河原へ下りると
阿武隈の川の流れは速いです。
ここ数日の雨で、
たぶん水量は多いのでしょう。
河原に沿って歩いていると、
こんなものが。 ↓
きっと、ホットスポットに違いありませんね。
近くの公園には、こんな看板が。 ↓
商店街を歩いていると
「放射線測定器あります。¥50000」
などというガラス戸への
貼り紙もあったりします。
県庁前に戻ると、ちょうどお昼時。
お役所関係らしき人が、路上で立ち話です。
「何億というお金が動くから…
うまくやれば…ムニャムニャ…」
おやおや、復興事業の話なんでしょうが、
路上でする話しですかね。
今回、雨に濡れたり、
ぬかるみにはまったりとか、
あるいはお宿で食事をするとき、
「これ、放射能、大丈夫かね?」
と、やはりついつい思ってしまいますよね。
でも、地元の人って、食べ物だけじゃなく
あらゆるものが、「これは大丈夫か?」
という毎日なのでしょう。
だとしたら、もう既に汚染されている
という現実を前提に考えて、
逃れられない日常をどう生きていくのかが
迫られているのかもしれません。
日常をどのように自衛して、
より被災を少なくするか、
その新しい生活習慣を積み上げていくのが
必要なのかも知れないですね、
と、つらつらなべさんは
思ったりしたのですが、
あ、これ地元の人だけじゃなくって、
実は、日本住民全体の話でしょうね。
それにしても
「東電も謝るという気が、全くないっていうの!
せめて避難所にせんべいの一枚でも
配ってまわる気がないんだかぁ!?」
と、好山荘の番頭さんが
おっしゃっていたのを思い出します。
もちろん「せんべい1枚」で済む話ではないですけど。
二階堂の大女将は
「もう少々家が揺れても慣れてしまって…
でも、それが怖いんですけどね。」
と、おっしゃっておりました。
さてさて、なべさん、散策も疲れます。
お昼をとって、夜までの時間つぶしに
駅構内にあった「極楽湯」で休憩です。
天然温泉ではなさそうですけど。 ↓
とまあ、こういうわけで、
3日間の山行行程はすべて
雨にたたれて、散々だったわけで
「安達太良山の上のほんとの空」
を見ることもなく
24日朝、無事に
帰阪致した次第でありました。
すると、大阪の朝は
見上げてみれば、かんかん照りの
青空でした。 久々の青空だったのであります。
(「ほんとの空」は大阪にあったのかしらね?)