先日知人のお見舞いに行ってきました。もう80近いのですが、非常に元気だったのに、風邪をこじらせ肺炎になってしまったようです。
病院は市内では大型の高度医療なんとか指定病院でしたが、その呼吸器病棟に行きました。もうかなり元気になっており、すぐに退院できるようでした。病室も4人部屋でかなりゆったりしており、それほど新しくはないのですが、きれいに保たれていました。
ベットも満員のようでしたが、入院患者はみな寝たきりに近いような老人ばかりで、知人も話し相手もいない状況のようです。本来この病院は高度の医療技術を売りにしているはずが、寝たきり老人の介護施設のようになっていました。老人医療の問題は、このブログでも取り上げましたが、現場を見てみると本当に何とかしないといけない時期に来ているような気がします。国は在宅看護を進めようとしているようですが、現状ではあまりに家族の負担が大きく、また老々介護にならざるを得ない状況では、かなり難しいような気がします。
10年ほど前ですが、私の母もこの病院で8か月お世話になりなくなりました。その時介護と看護のみする(治療はしない)老人病院への転院を考え、いろいろ話を聞きに行きましたが、かなり高価になるうえ絶対数も少ないようです。
一つの方策は、延命治療をやめることだと思います。家族にしてみれば、一日でも長く生きてほしいという思いはあるのだと思いますが、医者が家族を説得するくらいの方向が必要だと思います。現在の医療技術は、自然に任せれば2,3か月の命を1,2年まで延ばすことができます。これが本当に必要かという点で、疑問を持っています。若い人であれば、かなり重篤な状況になっても、延命することで治癒できて元気になる可能性はあります。しかし老人は、延命したとしても単に生きている時間を延ばすだけでしょう。たぶん医療費に占める延命治療の費用は、莫大なものになっているはずです。特に老人医療費は、いろいろ批判はありますが、基本的に多くの税金と保険料で賄っており、医療費増大の最大の原因となっていると思われます。
たぶんこのためには、とにかく命を救うを最優先にしている、医者の意識改革が必要なのかもしれません。危篤の患者さんをいかに救うかは、確かに重要な問題です。しかし時と場合によっては救命が最善の方法ではないような気もします。
私も高齢者の仲間入りをして、そろそろ現実の問題となりつつありますが、延命治療などせず自然のままに命を全うしたいと考えています。
病院は市内では大型の高度医療なんとか指定病院でしたが、その呼吸器病棟に行きました。もうかなり元気になっており、すぐに退院できるようでした。病室も4人部屋でかなりゆったりしており、それほど新しくはないのですが、きれいに保たれていました。
ベットも満員のようでしたが、入院患者はみな寝たきりに近いような老人ばかりで、知人も話し相手もいない状況のようです。本来この病院は高度の医療技術を売りにしているはずが、寝たきり老人の介護施設のようになっていました。老人医療の問題は、このブログでも取り上げましたが、現場を見てみると本当に何とかしないといけない時期に来ているような気がします。国は在宅看護を進めようとしているようですが、現状ではあまりに家族の負担が大きく、また老々介護にならざるを得ない状況では、かなり難しいような気がします。
10年ほど前ですが、私の母もこの病院で8か月お世話になりなくなりました。その時介護と看護のみする(治療はしない)老人病院への転院を考え、いろいろ話を聞きに行きましたが、かなり高価になるうえ絶対数も少ないようです。
一つの方策は、延命治療をやめることだと思います。家族にしてみれば、一日でも長く生きてほしいという思いはあるのだと思いますが、医者が家族を説得するくらいの方向が必要だと思います。現在の医療技術は、自然に任せれば2,3か月の命を1,2年まで延ばすことができます。これが本当に必要かという点で、疑問を持っています。若い人であれば、かなり重篤な状況になっても、延命することで治癒できて元気になる可能性はあります。しかし老人は、延命したとしても単に生きている時間を延ばすだけでしょう。たぶん医療費に占める延命治療の費用は、莫大なものになっているはずです。特に老人医療費は、いろいろ批判はありますが、基本的に多くの税金と保険料で賄っており、医療費増大の最大の原因となっていると思われます。
たぶんこのためには、とにかく命を救うを最優先にしている、医者の意識改革が必要なのかもしれません。危篤の患者さんをいかに救うかは、確かに重要な問題です。しかし時と場合によっては救命が最善の方法ではないような気もします。
私も高齢者の仲間入りをして、そろそろ現実の問題となりつつありますが、延命治療などせず自然のままに命を全うしたいと考えています。