昨日のブログで、病院がどこも老人であふれており、延命治療はできるだけやめるべきといういうようなことを書きました。ついでですので、現在の医療についての、私の感想を書いてみます。
私の母は子供のころポリオ(小児麻痺)にかかり、右足にまひが残った障害者で、爪に松葉づえを使用していました。私は物心ついてから50年以上一緒に過ごしてきましたので、この状態が当然のことで、母と一緒の時は介護をするのが当たり前のことでした。
私が結婚した後も、母は障害者の会など旅行に出かけ、私も付き添いとして出ることもよくありました。
こういう時は、手助けをしようとしてくれる親切な人が多いのですが、残念ながらどうすればよいのかを分かっている人はほとんどいませんでした。障害者の介助は、プロでないとなかなか難しいのが現状です。母は軽い障害(身体障害者3級でした)でしたが、それでも家族の負担はかなり大変でした。
こういった経験から、障害者をなるべく減らす医療が必要と考えています。しかし残念ながら現在の医療システムは、救命を重視していますので、障害者が増加する方向に進んでいます。例えば、医療の進歩によって、少し前ならば助からないような未熟児でも救命できますし、事故などで重傷を負っても助かります。また脳卒中なども早ければ助かるようになってきました。その代り後遺症が残り、障害者が増加することになります。これは無理な注文なのですが、単に救命するだけではなく、その後の後遺症の面倒も見てくれるようなシステムが一体となることが必要だと考えています。
この点から出生前診断は、大いに進めるべきです。命の選別などという人がいますが、障害者と暮らすことの大変さをわかっていないのであれば、単なる無責任な発言と思います。
現在の医療は素晴らしく、知人で脊髄損傷を受け、首から下がマヒしてしまった人が、その後のリハビリによって車いすで生活できるようになったという例もあります。私の母も、友人の整形外科医から義足の作成を進められ、もう少し若かったら松葉づえの不要な生活を送れたかもしれません。こういった障害を克服する方向の医療の進歩も進んでいますので、必ずしも障碍者が増えるというわけではないかもしれません。それでもやはり、救命は治癒を前提したものであるべきと考えています。
またタイトルとやや論旨がずれてしまいましたが、医療費増大に悩む現在は、考えなくてはいけないことがあまりにも多いような気がします。
私の母は子供のころポリオ(小児麻痺)にかかり、右足にまひが残った障害者で、爪に松葉づえを使用していました。私は物心ついてから50年以上一緒に過ごしてきましたので、この状態が当然のことで、母と一緒の時は介護をするのが当たり前のことでした。
私が結婚した後も、母は障害者の会など旅行に出かけ、私も付き添いとして出ることもよくありました。
こういう時は、手助けをしようとしてくれる親切な人が多いのですが、残念ながらどうすればよいのかを分かっている人はほとんどいませんでした。障害者の介助は、プロでないとなかなか難しいのが現状です。母は軽い障害(身体障害者3級でした)でしたが、それでも家族の負担はかなり大変でした。
こういった経験から、障害者をなるべく減らす医療が必要と考えています。しかし残念ながら現在の医療システムは、救命を重視していますので、障害者が増加する方向に進んでいます。例えば、医療の進歩によって、少し前ならば助からないような未熟児でも救命できますし、事故などで重傷を負っても助かります。また脳卒中なども早ければ助かるようになってきました。その代り後遺症が残り、障害者が増加することになります。これは無理な注文なのですが、単に救命するだけではなく、その後の後遺症の面倒も見てくれるようなシステムが一体となることが必要だと考えています。
この点から出生前診断は、大いに進めるべきです。命の選別などという人がいますが、障害者と暮らすことの大変さをわかっていないのであれば、単なる無責任な発言と思います。
現在の医療は素晴らしく、知人で脊髄損傷を受け、首から下がマヒしてしまった人が、その後のリハビリによって車いすで生活できるようになったという例もあります。私の母も、友人の整形外科医から義足の作成を進められ、もう少し若かったら松葉づえの不要な生活を送れたかもしれません。こういった障害を克服する方向の医療の進歩も進んでいますので、必ずしも障碍者が増えるというわけではないかもしれません。それでもやはり、救命は治癒を前提したものであるべきと考えています。
またタイトルとやや論旨がずれてしまいましたが、医療費増大に悩む現在は、考えなくてはいけないことがあまりにも多いような気がします。