ごっとさんのブログ

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どうもわからない記憶のはなし

2016-05-31 10:41:27 | 健康・医療
新聞にやさしい記憶の解説記事が出ていました。私は記憶ということに興味を持っているのですが、どうもよくわかりません。

例えば私は人の顔と名前を一致させるのが本当に苦手で、今のテニスのレッスン仲間も毎週顔を合わせているのに、覚えるまでに何か月かかかりました。せっかく覚えてもテニス肘などで少し休むと、顔は思い出すのですが、名前が出てこなくなります。それでも何かの拍子に思い出すので、忘れてしまうわけではないようです。

ところがいくつ覚えているのかわかりませんが、化合物の構造式と名前はすぐに覚えるようです。構造式というのは有機化学を知らない人はもちろん、習い始めの学生でも訳が分からないものとして、非常に苦労するようです。たぶん私は同じようなものですが、人の顔と名前を記憶する部位と、化合物の名前と構造を覚えるのは違った部位なのかもしれません。

こういった記憶と脳の関係が飛躍的に進んだのは、1950年代とされています。このころはてんかんの治療として、脳の一部を切り取るというひどい手術が行われていました。前頭葉の一部を切り取ると、数分前のことは覚えていられなくなりましたが、子供のころの記憶は覚えていました。つまり脳の中で新たな記憶を作るために必要な領域と、昔の記憶を覚えておく領域は違うことが分かったわけです。

もちろん現在ではこのような酷い手術はなく、記憶に関しても電気刺激や様々な手法により、脳の部位と記憶との関連が分かってきたようです。

記憶の種類を分類すると、いろいろ面白い分け方があるようです。昨日知人と会ったなどという記憶を「エピソード記憶」とよび、個人的な体験や出来事を日記のように記憶するようです。イチゴの色は赤いとか神奈川は日本のこの位置にあるなどといった一般的知識は「意味記憶」とよび、エピソード記憶と意味記憶を合わせて「陳述記憶」と呼ぶそうです。

言葉で伝えられない記憶は「非陳述記憶」で、一度自転車に乗れるようになると、何年たっても忘れないといったことです。そのほかパブロフの犬で有名な「条件反射も」この記憶の一種に分類されるようです。

脳を使うという点で面白い経験をしました。現在英文特許の翻訳という内職をしていますが、これが一段落したときついでにこのブログの入力することがあります。同じようにパソコンに文字入力をするのですが、うまく説明できませんが、頭の切り替えをしないとできないのです。たぶん翻訳というのは記憶を並べる作業で、ブログの入力は創造的なことなのかもしれません。つまり使用する脳の部位が違うという感覚が出るのです。

こういった記憶について進歩していけば、認知症などの治療に役立つような気もします。