簡単です。3玉に茹で麺入り1袋で98円だからです。どうして同じような蕎麦ってないのだろう。蕎麦は圧倒的に生麺か乾麺で、茹でてざるに揚げて洗ってといった手間が掛かるので、どうしても時間短縮でうどんになってしまいます。安さも見逃せませんが。
そして冷たい食べ物や飲み物は余り好みませんので、煮込みが主流です。
これは、白菜と生姜を一緒に煮込んで卵を1個半熟までに煮て、ネギと作り置きの切り干し大根と油揚げの煮付けをトッピング。野菜多めで、バランスは良いと思います。
お茶はこの冬はほうじ茶にはまっています。
この日はカルボナーラうどんバージョン。白菜とニンニク、タマネギで炒めて、市販のソースに卵です。
おまけ。鮪の唐揚げ(塩だれ)と切り干し大根と油揚げの煮付け。鮪の唐揚げは色は悪いのですが、味はとっても美味しいです。「北海道産長ねぎのねぎだく塩だれ」これ大当たりでした。
現在、白米を食べています。理由は安かったから。ですが、水っぽくて軟らかくて口に合いません。長い間玄米を食べ続けたせいでしょう。ふっくら焚いた白米は本来美味しいですし、おにぎりも美味しい筈なのですが、習慣でしょうね。食べ切ったら玄米に戻します。
年齢のせいでしょうが、身体のあちこちに不具合が生じ、病院通と投薬が必要です。加齢のため、仕方ないらしいですが、若い頃は「死」というものが遠い存在で、身体を思いやるよりも自由・本能を選んできました。ですが、「死」というものが、未だ遠いとしても脳裏に過り、避けてとおれない年齢ともなると、これからの残りの人生に起こりうる、運命がどのようなものなのか、考えてしまいます。
悔いの残らない人生だと思っていましたが、「死」に直面した時に、悔いの残らない人っているでしょうか? どれほど充実した人生でも、やはり誰しも何らかの悔いは残ると思います。
運命を静かに受け入れるか、流されるか、向き合う強さがあるか。己の最後の力量なのでしょう。
まだ、「死」など思っていなかった頃、「人生の最後に何が食べたいか」などと、子ども同士でばかげた話をしたものです。自分は、「味噌ラーメン、固焼きそば、寿司、カツ丼」などを思い浮かべました(笑)。
今では、さしずめ、「一服の上等な緑茶」ですかね。
早く暖かくなれ。