SIDEWALK TALK

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ふつつかな娘ですが…

2005-06-10 09:00:00 | うんちく・小ネタ
wedding僕はもうすぐ40歳になるんだけど、
今年なぜか友人の結婚ラッシュで(といっても後輩ですが)、
年内にもう数回、おめでたい式によんでもらえる予定。

で、結婚といえば結納がつきものだけど、
その結納の思い出噺をひとつ。


今から10数年前、僕の妹が結婚することになり、
結納をおさめに、先方のご両親と旦那さん予定者がわが家にきた。
無事に結納がおさまり、食事会場の料亭に出かけた。

お酒がまわり座が和んだころ、僕の父が立ちあがり、
婚約者の前につつッと進みでて、座るなり頭をさた。
その所作をみていた僕は、
「いよいよテレビとかでよくあるあのセリフを親父がいうのか!」
と固唾を呑んで、つぎのことばを待っていた。

「ふつつかな息子ですが、よろしくお願いします」

「えーッ!ふつつかな息子って、オレのことじゃねーか」
て、たまらずツッコミをいれたら、オヤジは、
「いつも思ってたことが、ついでちゃった」
と、悪びれずに笑っていた。


で、その儀式はそれっきりで、未だに旦那さんに妹のことを
「よろしくお願いします」
と、いってない。
ていうか、昨年父が亡くなったんで、もう永遠にいえないんですけど…。


豊かで自由な国

2005-06-09 08:51:13 | スポーツ
supporterW 杯アジア最終予選、日本代表は北朝鮮代表に2-0で快勝。勝ち点12で B 組2位以内を確定し、3大会連続3度目の W 杯出場を決め、W 杯ドイツ大会予選突破第1号となりましたね。まことにもってめでたいことで、ふだんは J リーグをまったく観ない僕ですら、テレビのまえで夢中になって応援しちゃいました。

なんやかんやあって、FIFA の裁定でこの試合は無観客試合だったんですが、スタジアムに入れないのにもかかわらず、多くの熱狂的な日本人サポーターがバンコク入りして、これまた熱狂的な応援をしていました。

「ニッポンは豊かで自由な国だなぁ」ってつくづく思いました。
かの国は経済的に逼迫していて、一般の国民が海外へサッカーの応援にいくなんてことは夢物語だし、仮にかの国で裕福だとしても、海外へ自由に渡航するなんてことはできないにちがいありません。

近年の国際紛争が、民主主義(自由社会)の押し売り的要素があるのも事実ですが、かの国の国民に本当の真実をつたえられる日がくることを願うばかりです。
  


ピルグリム・ファーザーズ

2005-06-08 09:00:00 | うんちく・小ネタ

mayflower数あるオランダの栄誉のひとつは、
アメリカ最初の憲法といっていい「メイフラワー誓約書」を作成した
「ピルグリム・ファーザーズ」(巡礼の父祖たち)が
10年間以上にわたり流寓していた国ということが挙げられるだろう。

いうまでもなく彼らはイギリス人で、
1620年、男女子供あわせて102人がオランダ人を船長とする「メイフラワー号」に乗り込み、
英国プリマスを出航し、新大陸をめざした。
彼らこそ、近代市民国家の設計図を最初に書いた人びとだ。

16世紀のヨーロッパは宗教改革で沸騰していて、
新旧(カトリックとプロテスタント)がはげしく対立していた。
そんななか、イギリス国王はローマ・カトリックと勝手に縁切りしてしまい、
自国だけのアグリカン・チャーチ(英国国教会)を設立した。
ただし、草創期は教義が整備されてなく、教義の面で新旧があいまいだったため、
カトリックからもプロテスタントからも攻撃された。

のちにピューリタン(清教徒)とよばれるプロテスタントのあるグループが、
国教会にたいして「真面目にピューリファイ(純粋化)しろ!」と抗議する。
その清教徒なかでも、国教会のレスポンスの悪さに絶望したグループは、
これと縁切りするということで「セパラティス」(分離派)よばれ、
清教徒のなかでも、とびきりドラスティックな人びとだった。

このグループが、信仰の自由をもとめて、1602年、オランダに移住した。pilgrim_fathers
オランダが、当時から、いかに自由を許容する国だったかが察せられる。
  
ともかく、彼らがオランダのライデンに10年以上逼塞し、のちにアメリカ大陸に渡航し、
近代を先取りした社会契約的な憲章「メイフラワー誓約書」をつくったり、
入植15年あまりでアメリカ最初の大学であるハーヴァード大学を設立したりしたことが、
現在のアメリカ合衆国の礎になってることに異論はないと思う。

つまり、彼らをそっと育んだオランダなくしては、
「ピルグリム・ファーザーズ」の栄光はなかった(つまり今の合衆国も)と思う。


中津ベンチャークラブからの贈りもの

2005-06-07 09:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
yoko_kirishima2以前にもこのブログで紹介しましたが、僕のワイフが所属してるボランティア団体「中津ベンチャークラブ」が、20周年記念チャリティ事業として、桐島洋子さん講演会『いつでも今日が人生の始まり!』を5月20日に開催しました。
講演会は盛況で、会場には女性を中心にたくさんの方が来場し、桐島洋子さんの講話はさすがのキレがあり、オーディエンスを飽きさせることを知りませんでした。

poloふだんワイフに迷惑ばかりかけてる僕は、罪ほろぼしをかねて、カメラマン(写真係)として、お手伝いをしたんですが、先日、そのお礼ということで、ベンチャークラブの皆さんからハンカチとソックスをいただきました。
素人写真ばかりで恐縮していたところにいただいたもんですから、さらに恐縮、恐縮、恐縮です。こちらこそ、ありがとうございました。
  


親睦ソフトボール大会

2005-06-06 09:00:00 | スポーツ
softball日曜日のきのう、「平成17年度(第41回)中津市工業連合会親睦ソフトボール大会」(タイトル、長すぎ)がありました。
弊社は唯一、第1回大会から連続出場していて歴史だけはあるんですが、ここ最近の戦績は、ほとんど1回戦負けっていう状況なんです。

ことしは第1試合だったんですが、めずらしく7対5で勝ってしましました。ところが惜しいことに、2回戦を棄権してしまいました。その理由のひとつは、1回戦負けを予定していたんで、12時から居酒屋さんに予約を入れていて、今さらキャンセルできないことと、もうひとつは、零細企業のため9人ギリギリで1回戦をプレイしたんですが、午後から結婚式やなんやらで2名ほど選手がぬけて、人数が揃わなかったんです。

情けないハナシですが、でも親睦が目的ですから、そういう意味では主旨を達成できましたかね!?
  


COOL BIZ

2005-06-05 21:00:00 | コスメ・ファッション
きょう6月5日は、「国連世界環境の日」みたいですね。
cool_bizで、ことし環境省肝煎りのムーヴメントが「COOL BIZ-クールビズ-」で、6月は衣替えシーズンとあって、最近ニュースでも取りあげられてます。「 COOL BIZ 」とは、要するに、暑い夏は軽装にして、オフィスの冷房設定温度を高め(28℃)にして、地球温暖化をすこしでもくい止めようってことみたいです。

きょう、「愛・地球博」では、6月5日「環境の日」環境省関連イベント『 COOL BIZ Collection-新・夏の常識- 』っていうクールビズ・ファッションのショーが開催されるようです。そのショーにモデルとしてかどうかわかりませんが、日本 JC (青年会議所)の高竹会頭をはじめ、全国の JC メンバー80名ほどが出演するそうです。大丈夫かな~?

officeJC の夏の風物詩「サマーコンファレンス」も、ことしはノーネクタイ&ノージャケットのクールビズ・スタイルらしいですが、JC メンバーはノーネクタイなんていうと、アロハにビーサンなんかで会議にでる不届きものもいますんで、ノーネクタイとノールールをはきちがえないように祈るばかりです。

とにかく、クールビズにしろ、なんにしろ、環境に配慮することは大切というより今では地球市民の義務なんで、できることから積極的に取り組んでいきましょう。
弊社では、とうのむかしからクールビズ・スタイル(ていうか、ふつうに私服で出社)で、まちで知人にあうと、「オマエ、きょう会社休み?」っていつもきかれてました。
  


JR九州お客さま懇談会

2005-06-04 09:00:00 | 旅行記
sonic僕は、ひょんなことから、
JR中津駅の大島駅長の知己を得て、
JR九州お客さま懇談会の委員になっている。
きのう就任後初の会議が開催されたので、
参加してきた。


で、「いいなぁ」って思ったのが会議の構成メンバー。
JR九州側からは、駅長さん、営業や運輸業務の責任者、パーサー、広報などの
実際に現場や最前線で指揮をとっている(課長クラスの?)人たち。
僕たち委員は、サラリーマンや主婦、大学生、医療関係者、
そして僕のような経営者などで、
年齢が19~43歳と若く、半分は女性。


こういった懇談会や審議会にありがちな、
会社のおエライさんとオジサン&オバサンの馴れあい会議じゃなかったし、
JR九州の皆さんの受け答えも精密かつ懇切丁寧なもので、
こちらもテキトーなことはいえないという、
いい緊張感があった。


今回のテーマは、「JR九州の駅のサービス」について。
僕個人としては、ほとんど駅に不満がないから、
大した発言はできなかったのだけど、
テーマとは無関係の携帯電話の車内使用についての意見を述べた。


僕自身はマナーを守っているつもりで、
電車内では、マナーモードに設定するし、もちろん通話もしない。
そのくせ、ひとが車内通話をしててもぜんぜん気にならない。
で、提案したのが、携帯電話を使用してもいい「ケータイOK!車輌」の導入。
こんなのどうでしょうか?


世界の常識はどうなんだろう?
電車内でケータイ通話禁止なんて、日本だけのような気がしてるんだけど…?
さすがのJR九州の皆さんも、外国の状況は把握していなかった。

バラを見上げる

2005-06-03 09:00:00 | うんちく・小ネタ
roses唐突ですけど、バラの花って(もちろん種類によるでしょうが)、高いところに咲くんですね。
僕んちの庭のバラの花は、2メートル以上の高さで、今、満開です。ふだんお花屋さんで見かけるときは、上のほうからバラを見てるんで、下から見上げると、なんとなく違和感があります。

で、バラのことを調べてみようと、ある検索エンジンで「薔薇」って検索したら、検索結果のトップが「月刊薔薇族ホームページ」でした。これって、なにかまちがってるような気がしません…!?
ちなみにカタカナの「バラ」で検索すると、ただしい知識が得られます。
  


八十年戦争

2005-06-02 09:00:00 | うんちく・小ネタ
independent_war学術的になんの裏打ちもない私見だけど、
僕は、世界最初の市民社会はオランダで誕生したと思っている。
そのきっかけは、オランダ独立戦争だった。
オランダ独立戦争とは、
スペインに支配されていたネーデルラント北部7州が独立を勝ちとった
1568年から1648年までの戦争で、「八十年戦争」ともよばれている。


この独立戦争勃発の気運はさまざまな要因があるのだけど、十把一絡げにいうと、
勃興基のプロテスタントのオランダ人が、支配を受けていたカトリック国である
スペイン国王フェリペ2世から法外な弾圧をされたことが原因だった。
この戦争の激戦地が、ライデン大学で有名なライデン(Leiden)だった。


当時世界最強とうたわれたスペイン軍に、ライデン市民は果敢に立ちむかった。
とにかく搾取されつづけていたオランダは貧しく、
銀製の甲冑を着ているスペイン軍正規兵に、オランダ市民はチーズをいれる木の桶をかぶって戦った。
海戦でも、粗末な漁師船で、スペインの無敵艦隊(The Invincible Armada)に挑んだ。


ライデン市民は、ブルヒト(Burcht = 城塞の意)とよばれる土をかき集めただけの人工の丘に籠城し、
耐えに耐え抜き、けっして屈することがなかったそうだ。
オランダ軍の勝利の作戦について詳しくは知らないが、
水門を破壊し、スペイン軍を水攻めにし、退却を余儀なくさせたらしい。


leidenオランダ人のおかしみ(いい意味での呑気さ)は、
この歴史的な市民社会の誕生をその後も世界に宣伝しなかったため、
200年以上あとの「アメリカ独立宣言」や「フランス革命」のほうが有名になっていることだ。


また、この戦争のリーダー格だったオラニエ公ウィレム1世が、
ライデン市民の功をたたえ、数年間の免税を提案すると、
市民のほうは無欲なことに「免税よりも大学がほしい」と懇願し、ライデン大学がつくられた。
つくづくオランダ人って、変わってると思う。


マキちゃんのお母さん

2005-06-01 09:00:00 | 健康・病気
makichan僕には “マキちゃん” っていう異性の友だちがいて、かれこれ20年ちかいつきあいをさせてもらってます。

マキちゃんの家族も、僕の家族も、それぞれ交流があり、たとえば、僕のワイフとマキちゃんでお酒を飲みにいったりとか、僕の母親のためにマキちゃんが歌舞伎のチケットを予約してくれたりとか、僕が不在なのに僕の実家にマキちゃんが上がりこみ、(亡くなった)父と深夜までお酒を飲んだりとか、枚挙に暇がありません。

僕のほうも、マキちゃんのお母さんから「コロッケをつくったから食べにおいで」っていわれてノコノコでかけたり、マキちゃんの甥っ子のタロウくん(小5)とプレステで遊んだりしてます。

ASPAC 出発直前、マキちゃんのお母さんが出血して入院したってニュースがはいり、あわててお見舞いにでかけました。幸いにも大腸にすこし炎症があっただけで大事にいたらず、先週末に退院しました。
僕がお見舞いにでかけたとき、何度もマキちゃんのお母さんに、「お母さん、大丈夫?」とか、「お母さん、ビックリさせないでよ」とか、「お母さん、早くよくなってコロッケをつくってよ」とか、そんな「お母さん」を連発してたんで、同室の皆さんは僕のことを娘婿と勘違いしてしまったみたいなんです。

で、お母さんが僕のことを説明するのに、「あのひとは、娘婿でも親戚でもありません。わたしの葬儀委員長です」っていったそうです。
お母さん、サイコー!