夜中1時半の外気温=16℃、4時=14℃、異常過ぎてこの反動が怖い。
昨夜のマヒ半身の血行活発化感覚は、グリコに相応しい凄さがあった。
しかしシーツに擦りつけてた手のひら感覚には、ほとんど変わりはなかった。
今日は在宅日なので、昨日からの流れで『マヒ目の後遺症』について書こうと思う。
ちょうど良い機会なので、今春デイを変わった理由についてかいつまんで追記しておく。
マヒ眼の後遺症は、以下の4つ。
①視力が0.1以下、②左右で映像ズレ、③映像が振動、④まぶたが閉じられない、①から③はもう慣れている。
眼科クリニックで定期診察が必須なのは④に起因する充血のためで、これが私にとって一番の難物になっている。
まぶたを閉じれないから眼の表面(角膜)が乾いて傷がつき雑菌が入り、2、3ヶ月に1度くらいは充血を起こしている。
抗生剤が効かない耐性菌で充血したことが数年前にあったけど、1、2週間おきに通院して完治するまで約半年かかったことがある。
この時は娘が結婚前で仕事をやめていた時だったのでなんとかなったけど、今考えるとぞーっとする。
この耐性菌にやられた時の大変さと苦労を経験をしただけに、マヒ眼への雑菌混入には神経質なくらい注意している。
追記:今年3月に辞めたデイで、正月明けから入浴後の保湿クリームを自分で塗り始めたことがあった。
それはあるスタッフを全く信頼できなくなった(去年10月中旬から急に嫌がらせ)からであり、
万が一のマヒ眼の事故を避けるカモフラージュのために、やむを得ず自分で塗ることにしたのだった。
彼女から嫌がらせを受けてはいたけど、そこは身体が不自由な身、正面切ってケンカを売るほど私も短慮ではなかった。
去年10月の定義山ドライブ以前は、彼女は普通に接してくれていたのだったのが、
定義山以降は私にだけ差別したように無視し、無視できない場合には事務的に冷淡な口調で接するようになった。
無視以外の嫌がらせ:送迎順序を変えて順番を遅らせたり、椅子をぎっしり並べて車イスの私をゲームから排除したり、
上記2件は11月29日と26日の嫌がらせだったけど、この2件には露骨な悪意が感じられたので、
11月30日に浴室で生活相談員さんと同郷ナースさんがいる場で抗議した。
接しかたを以前の普通に戻すよう何度かお願いをしたけど、『焼きもちを焼いてんのか?』と言われるに至って、
今までは私のルール違反に彼女が逆鱗したと思い込んでいたけど、私が焼きもちを焼くように差別していたのかと分かり、
それなら上等、我慢できるところまで徹底して我慢してやれと腹を決めて、逆に私もムキになってしまった。
今年3月1日に生活相談員さんの退職挨拶を読んだら、わざわざ高額の〇万円(介護保険と合わせると〇×10万円)を払い、
嫌がらせを我慢していることの本末転倒したあまりの馬鹿らしさに嫌気がさし、ここのデイを卒業する決心をしたのだった。
5ヶ月以上も嫌がらせ(ケアマネさんは虐待と憤慨)を我慢していたことを、娘とケアマネさんから強く叱られたけど、
去年10月までは2年間にわたり気に入っていたデイだったので、時間がたつうちにひょっとして解消・・を期待したのだった。
健康な時は気が強くても、重い身体障害持ちの弱者になってしまうと、どうしても気が弱くなってしまうようだ。
なお今のデイではそんな不埒な人間はいないので、以前のように保湿クリームは入浴後にスタッフさんに塗って貰っている。
雑菌混入を神経質なくらい注意している私が、マヒ眼の処置や周辺のケアをお願いしているのは『信頼の証』でもあるのだ。
ps:去年の定義山ドライブの買い物について内密のルール?があったらしく、私と運転職スタッフさんがルール違反をしたとのこと。
彼女から2度きつく注意を受けたけど、まさかこれで嫌がらせがエスカレートしたり、半年も嫌がらせが続いたとは思えない。
娘から訊ねられたけど、セクハラも全然していないし、暴言だって1度も吐いたこともない。
しかし彼女の中でタブーにしていた地雷を、私は知らずに踏んでしまっていたのかも知れない。
彼女は一切嫌がらせをしていないと言うし、私の思い過ごしだと言い張る以上は、それは永遠に分からない。
Fact is fact.
以上を吐き出したら楽になった。これで新年を迎えられる。
昨夜のマヒ半身の血行活発化感覚は、グリコに相応しい凄さがあった。
しかしシーツに擦りつけてた手のひら感覚には、ほとんど変わりはなかった。
今日は在宅日なので、昨日からの流れで『マヒ目の後遺症』について書こうと思う。
ちょうど良い機会なので、今春デイを変わった理由についてかいつまんで追記しておく。
マヒ眼の後遺症は、以下の4つ。
①視力が0.1以下、②左右で映像ズレ、③映像が振動、④まぶたが閉じられない、①から③はもう慣れている。
眼科クリニックで定期診察が必須なのは④に起因する充血のためで、これが私にとって一番の難物になっている。
まぶたを閉じれないから眼の表面(角膜)が乾いて傷がつき雑菌が入り、2、3ヶ月に1度くらいは充血を起こしている。
抗生剤が効かない耐性菌で充血したことが数年前にあったけど、1、2週間おきに通院して完治するまで約半年かかったことがある。
この時は娘が結婚前で仕事をやめていた時だったのでなんとかなったけど、今考えるとぞーっとする。
この耐性菌にやられた時の大変さと苦労を経験をしただけに、マヒ眼への雑菌混入には神経質なくらい注意している。
追記:今年3月に辞めたデイで、正月明けから入浴後の保湿クリームを自分で塗り始めたことがあった。
それはあるスタッフを全く信頼できなくなった(去年10月中旬から急に嫌がらせ)からであり、
万が一のマヒ眼の事故を避けるカモフラージュのために、やむを得ず自分で塗ることにしたのだった。
彼女から嫌がらせを受けてはいたけど、そこは身体が不自由な身、正面切ってケンカを売るほど私も短慮ではなかった。
去年10月の定義山ドライブ以前は、彼女は普通に接してくれていたのだったのが、
定義山以降は私にだけ差別したように無視し、無視できない場合には事務的に冷淡な口調で接するようになった。
無視以外の嫌がらせ:送迎順序を変えて順番を遅らせたり、椅子をぎっしり並べて車イスの私をゲームから排除したり、
上記2件は11月29日と26日の嫌がらせだったけど、この2件には露骨な悪意が感じられたので、
11月30日に浴室で生活相談員さんと同郷ナースさんがいる場で抗議した。
接しかたを以前の普通に戻すよう何度かお願いをしたけど、『焼きもちを焼いてんのか?』と言われるに至って、
今までは私のルール違反に彼女が逆鱗したと思い込んでいたけど、私が焼きもちを焼くように差別していたのかと分かり、
それなら上等、我慢できるところまで徹底して我慢してやれと腹を決めて、逆に私もムキになってしまった。
今年3月1日に生活相談員さんの退職挨拶を読んだら、わざわざ高額の〇万円(介護保険と合わせると〇×10万円)を払い、
嫌がらせを我慢していることの本末転倒したあまりの馬鹿らしさに嫌気がさし、ここのデイを卒業する決心をしたのだった。
5ヶ月以上も嫌がらせ(ケアマネさんは虐待と憤慨)を我慢していたことを、娘とケアマネさんから強く叱られたけど、
去年10月までは2年間にわたり気に入っていたデイだったので、時間がたつうちにひょっとして解消・・を期待したのだった。
健康な時は気が強くても、重い身体障害持ちの弱者になってしまうと、どうしても気が弱くなってしまうようだ。
なお今のデイではそんな不埒な人間はいないので、以前のように保湿クリームは入浴後にスタッフさんに塗って貰っている。
雑菌混入を神経質なくらい注意している私が、マヒ眼の処置や周辺のケアをお願いしているのは『信頼の証』でもあるのだ。
ps:去年の定義山ドライブの買い物について内密のルール?があったらしく、私と運転職スタッフさんがルール違反をしたとのこと。
彼女から2度きつく注意を受けたけど、まさかこれで嫌がらせがエスカレートしたり、半年も嫌がらせが続いたとは思えない。
娘から訊ねられたけど、セクハラも全然していないし、暴言だって1度も吐いたこともない。
しかし彼女の中でタブーにしていた地雷を、私は知らずに踏んでしまっていたのかも知れない。
彼女は一切嫌がらせをしていないと言うし、私の思い過ごしだと言い張る以上は、それは永遠に分からない。
Fact is fact.
以上を吐き出したら楽になった。これで新年を迎えられる。