内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

償うことさえできず ― たまゆらの記(六)

2014-12-28 12:15:27 | 随想

 その人の生き方を、少しでも、たとえ拙い仕方ででも、言葉にしておきたい、と息子は思う。
 しかし、それは、贖罪のためではない。その人に歯の浮くような頌歌を捧げることや、その人を無欠の聖人として祭壇に祭りあげることで、自ら負うべき重荷を軽減したり、自分の罪を誤魔化したりしたいのではない。あたかも一つの作品のように見事に完結したその生涯は、それ自体でその人を知る人たちを今も動かし続けているのだから、それについて駄文を弄したところで何になろう。
 息子がその人にまったく不当にも負わせることになった長年の重荷と心労とは、その人の命を奪った病の、控えめに言ったとしても、大きな誘因であっただろう。その重荷と心労がなければ、その人はもっと長生きができただろう。少なくとも、晩年をもっと楽しく生きることができただろう。それに十二分に値する苦難の人生を生きてきた人だった。
 その人がもういない今となっては、もはやその人に対して償うことさえできない。