内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

記憶の「泉」― 覚えられた千二百人の子供たち たまゆらの記(三)

2014-12-25 13:27:00 | 随想

 その人は、単なる一在園児の母に過ぎなかった三年間を除いた、最初のきっかけであった事務手伝いというパートタイムのときから数えれば、四十年間、ある幼稚園に関わり続けた。もうすぐ八十に手が届くという年齢になって、周囲に切望され、とうとう園長になった。それを一時帰国の際に本人から聞かされた息子は、冗談混じりに、「前代未聞のすごい出世だね」と言ったら、「それどころじゃないわよ。本当に大変なんだから」と応えたその顔には、自分でやれるだけのことはやり尽くそうという静かな覚悟が感じられた。
 二〇一一年三月までの園長としての三年間は、その人の幼稚園との関わりの集大成でもあり、存亡がかかった幼稚園最大の危機を、園の先生たち・保護者たちと共に闘いつつ乗り越えた困難な時でもあった。八十歳で園長退任後も財務理事として園に関わり続け、経営の安定化に貢献し、その引き継ぎを後任者に行ったのが死の四日前であった。文字通り「生涯現役」を貫いたのである。
 その人には、物や数字で残せるような作品や業績があるわけではない。しかし、彼女を知るすべての人が驚嘆するのは、卒園生とその家族すべてについての生ける記憶である。
 卒園後十年以上たって久しぶりに園を訪ねてきた卒園生に「〇〇ちゃん、久しぶりね」と瞬時にその子を名前で呼び、満面の笑顔で迎えるのだった。「〇〇ちゃんは今どうしているのかな」と、もう四十代のはずの卒園生のことを話題にすると、たちどころに、その卒園生が今どこに住んでいて、どんな仕事をし、結婚しているのか、子供はいるのか、あるいはその他の消息について答えてくれた。昨日、最後の別れに親子三代同園卒園の祖母・母・娘三人が来てくれたとき、「自分たちが忘れていることまで先生は覚えていてくれた」と言っていた。このような例は、枚挙に暇がない。
 千二百人を超える卒園生たちとその家族は、このように、その人によって常に覚えられていた。それを可能にしていたのは、単なる記憶力のよさということではもちろんない。それは、一人一人の子どもへの湧き出るような愛情によってその深みと広がりが増し続けた記憶の「泉」である。