その人は、今月に入ってから、身近な人たち一人一人に遺す言葉を「遺言ノート」に、丁寧な字で、思いを込めて、書き付けていった。その死後、それらの人たちは、それぞれ、自分に遺されたその人の言葉を読んだ。
その「遺言」の宛先の一人である二十歳になる孫娘は、今、フランスにいる。その父親は、娘に、「あなたの祖母の余命は数えられている。いつ連絡が入いるかもわからない。そのつもりでいなさい」と伝えてから、帰国した。
その孫娘は、小さい頃から中学生になる頃まで、お祖母ちゃんが大好きで、夏の一時帰国の度毎、その側を離れることなく、「お祖母ちゃんの子になりたい」とまで言っていた。その人も、孫を心から愛していた。「自慢の孫」だったと遺言ノートに記されている。
しかし、そのどちらの所為でもない理由によって、一つ屋根の下に暮らしながら、孫娘は、祖母に対して、ほとんど口も利かないような冷淡な態度を取るようになってしまった。
その人が亡くなってから三日後、葬儀の前日、その人の息子は、孫娘への遺言を書き写し、本人にメールで伝えた。そこには、「自立した女性になって下さい。**子なら立派に出来ます。誰の人生でもありません。**子自身のものです。人に寄りかからず、自由な心で前へ進んで下さい。きっと道は開けていくでしょう」とある。
それを読んだ孫娘からその父親への返事は、以下のようであった。
最後にもう一度だけおばあちゃんと話す機会が欲しかったです。
素直じゃなくなっていったきっかけもはっきり覚えているし、後悔してもしきれません。
もっと早く大人になればよかった。
こう書きながら、おそらく、孫娘は、悔恨の涙を流していたことだろう。しかし、責められるべきは、孫娘ではない。孫娘が祖母に対して素直になれなくなってしまった理由は、その両親にあるのだから。
遺言ノートに込められたその人の願いが叶うようにこれから生きていこう、と息子は思う。息子とその娘は、来夏の帰国時に、一緒にその人の墓参りに行くことを約した。