内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

失われた沈黙を索めて ― アラン・コルバン『沈黙の歴史』

2017-02-01 23:35:41 | 読游摘録

 アラン・コルバン(Alain Corbin)は、その主要な著作の多くが日本語にも訳されているのでご存知の方も少なくないでしょう。現代においてアナール学派の思想と流儀を受け継いでいる歴史家の中の代表的な存在です。香り・音・風景・無名の犯罪人など、それまで歴史研究の対象になりにくかったテーマを積極的に取り上げて目覚ましい成果を挙げてきた、まさに切れ者歴史学者です。
 そのコルバンが、今度は、沈黙をテーマとした一書を昨年上梓しました。原書のタイトルは、Histoire du silence de la Renaissance à nos jours、出版社は Albin Michel です(これもまた魅力的なテーマですから、きっともうどなたか邦訳出版に取り掛かっていらっしゃることでしょう)。
 沈黙そのものは歴史を語りません。だから、沈黙の歴史とは、沈黙がいかに生活の中に組み込まれ、その中でどのような地位を与えられてきたかの歴史ということです。
 沈黙は、単なる音の不在ではありません。沈黙は、私たちのうちにあります。沈黙は、過去の偉大なる作家・思想家・学者・信仰者たちが己の内に築いてきた内なる城塞の中に息づいています。
 あらゆる空間に音がとめどもなく侵入してくる現代にあって、コルバンは、言葉が稀なるもの・貴重なものであった時代の歴史に立ち戻ります。なぜなら、沈黙は、瞑想・夢想・祈念の可能性の条件であり、私たちにとってこれ以上親密ではありえない場所であり、その場所からこそ、言葉が生まれて来るからです。
 ところが、コルバンによると、1950年代末に、沈黙との別れが人類に起こります。人々はもはやそこから言葉が生まれて来る沈黙に注意を払わなくなります。というよりも、沈黙が「聞こえなくなる」のです。それは、自分の声を聴くことができなくなる、ということでもあるのです。つまり、そこで起こっているのは、個人の構造そのものの変化にほかなりません。
 コルバンは、本書において、沈黙の価値を再発見しようと、沈黙が掛け替えのない場所、そこから言葉が生まれて来る場所であった過去へと遡ります。この遡行の旅は、自己へと回帰する省察への招きにほかなりません。