内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「見上げてごらん夜の星を」、そして上野洋三『芭蕉の表現』

2017-02-18 20:38:02 | 読游摘録

 冬休み初日、十日振りの水泳。日差しの中に感ずる、春遠からず。
 同僚のアドヴァイスで、ユーカリオイルの水蒸気吸引をここ数日日中数時間。おかげで胸部の鬱屈、ほぼ完全に解消。
 昨晩、「見上げてごらん夜の星を」、岩崎宏美のカヴァーで聴く。今さらだけど、名曲だなぁ。
 今日読んだ上野洋三『芭蕉の表現』(岩波現代文庫)から二箇所引用。

誰しも現実の感動の最初には、言語をあてはめていない。あるいはことばを失う。しかしながら、ことばによって、感動に一本の背骨を通すのでなければ、感激は一時のものにとどまる。そうしないでいる方が安楽ではあるが、ことばを与え、感激を刺しとどめ、固定しなければならない。しかも、同じことばでも、すでに練磨され選びぬかれた美しいことば――古典的言語――にこしたことはない。それによって、現在のこの一瞬の私の感激は、過去の強い力に貫かれ、支えられて、未来へ手渡される、というのである。ここには、歴史に連ならざるをえず、また連なろうとする人間の、最も常識的で健全な態度がある。(同書22頁)

天文学者によれば、われわれの人体を構成する元素のうち大部分のものは、宇宙の彼方で燃え尽き消滅した星たちが、消滅する際に放出した元素なのだという。ことの真実度はこの際問わない。ただ、この事態を、われわれの生命は、宇宙の果てで燃え尽きた星屑に基礎を置いている、と言われてみると、自らの生命の永遠性と、背中あわせのはかなさとを、一瞬誰しも感じないわけには行かないであろう。(352頁)