内的自己対話-川の畔のささめごと

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思想史の方法としての伝記 ― ミカエル・リュッケン『中井正一 日本における批評理論の誕生』

2017-02-03 23:17:54 | 読游摘録

 中井正一(1900-1952)の人と思想を、その生涯を包む歴史的文脈の中に位置づけながらその全体像を描き出した日本語の著作があるのかどうか、私は寡聞にして知らない。しかし、それを見事に実現した仏語の一書がここにある。Michael Lucken, Nakai Masakazu. Naissance de la théorie critique du Japon, Digon, Les presses du réel, coll. « Délashiné », 2015 がそれである。
 国会図書館副館長としての激職の渦中で病に倒れ、働き盛りの五十二歳で早逝したこの実践的哲学者・批評理論家が日本で高く評価されていたのは一九六〇年代のことであった。それから半世紀が経ち、近年日本でもメディア論の分野で再評価の気運が高まっているとも言われるが、出版事情を見るかぎり、まだその緒についたとさえ言い難い(例えば、アマゾンで検索してみると、現在刊行されているのは中公文庫版『美学入門』だけであり、一九九五年に刊行された岩波文庫版『中井正一評論集』も現在は古本でしか手に入らない。
 一人の思想家の思想だけを概念的に論じるだけでは、歴史の中の一つの思想の運命は語りえない。一つの思想の真実は、その思想家の生涯において事実生きられた現実の中にこそある。リュッケン氏のこの労作は、まさに中井正一によって生きられた独自な思想の伝記である。この伝記というスタイルは、生きられた思想の真実を伝えるための一つの自覚的な方法論の実践にほかならない。
 本書をよき案内役として、こちらの学生たちに中井正一の原文に触れさせたいとの思いから、来週から始める修士一年の「近現代思想」の演習では、中井正一の『美学入門』をテキストとして取り上げる。しかし、死の前年の一九五一年に出版された同書が中井美学の集約であるとしても、中井思想の最良の部分はやはり「委員会の論理」に代表されるだろう。
 例えば、家永三郎は、『田辺元の思想史的研究 ―戦争と哲学者―』(一九七三年刊。『家永三郎集 第七巻 思想家論3』一九九八年刊所収)の中で、中井らが一九三五年に創刊した『世界文化』に触れている箇所で、次のように中井の業績をきわめて高く評価している。

彼らの執筆した文章の中には、戦時下の抵抗としてみごとな姿勢を示しているというばかりでなく、哲学理論としても日本哲学史上今日なお高く評価されているすぐれた業績が多くふくまれている。三六年一月号から三月号にわたり連載された中井の「委員会の論理」のごときは、その最たるものであった。きわめて短い分量の中に、世界史の発展とそれに対応する新しい論理の形成という雄大で独創的な論理思想史を背景として構想された委員会の論理は、日本の哲学者の保守派にはもちろん、進歩派にも全く類例のない高度な創見にみちみちている。(一五三頁)

 この論文「委員会の論理」もリュッケン氏の手によって仏訳され、詳細な脚注とともに、 European Journal of Japanese Philosophy, Nubmer I, 2016 に掲載されている。