内的自己対話-川の畔のささめごと

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精読から生まれた「脱線」的読解の醍醐味 ― 網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』

2017-02-25 17:58:46 | 読游摘録

 昨日の記事で話題にした安丸良夫がその解説を書いている網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫、2013年)は、その初版が2003年12月に岩波セミナーブックスの一冊として刊行されている。この稀代の日本中世史家生前最後の著書である。
 読解の対象となっている宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)は、二十世紀日本の名著百冊(人文科学部門)をもし私が個人的に選ぶとすれば有力な入選候補書のうちの一冊だが、この名著を勤務先の短大での読解テキストとして十年間学生たちと精読し、その後1999年6月に岩波書店で四回にわたり行われた講座の記録に若干の加筆と修正をほどこしてなったのが本書である。
 『忘れられた日本人』を通じて宮本民俗学の真髄に迫ろうとしつつも、同著から受けたさまざまな示唆を手掛かりとして、同著の内容からはいささか離れてまでも、歴史家としての著者が展開する独自の考察が本書を単なる「穏健な」解説本にとどまらないとても興味深い一書にしている。
 そのような魅力的な「脱線」が本書にはいくつもあるのだが、一箇所だけ、日本社会の近代化に女性が果たした役割の大きさに触れているところを引いておく。

 それ故、日本社会の近代化の過程で、女性のはたした役割はきわめて大きいのです。近代日本の輸出産業として最大の意味をもっていた製糸業と紡績業はすべて女性の労働によって支えられていました。これまで女性は低賃金で働かされ、『女工哀史』や『ああ野麦峠』のように「女工」として「酷使」されたと言われてきました。もちろんこれも事実だと思います。しかし製糸業、紡績業は男にはできないのです。製糸工場には男は入れません。女だけの職場なのです。男は監督はできても、糸をとる仕事はやっていません。女性は少なくとも二千年の長い伝統の中で蓄積された技術をもっており、この産業は女性の力に依存するほかなかったのです。
 山梨県の場合は、女性は早くから養蚕の技術を勉強するための学校に通ったという話を最近も聞くことがあります。製糸・紡績工場は『女工哀史』や『ああ野麦峠』のような残酷な労働の場だけではなくて、むしろ製糸・紡績にいくことは女性が親元から離れて自由な世界にいくという側面も皆無ではなかった事実を考えておく必要があると思います。このように、女性の力なしに日本の近代化はありえなかったのです。しかも、それはただ安価な労働力として動員されたというのではなくて、女性自身の長い歴史を背景にした労働と技術の伝統があってはじめてなしえたという側面が、意外なほどに今まで見落とされてきたのではないかと思います。そうしたことを考える上で、宮本さんのこの本は、私に大きな勇気を与えてくれました。それ故、多少脱線しましたが、養蚕にまでふれてみたわけです。(86-87頁)