内的自己対話-川の畔のささめごと

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「方法としてのアジア」再考 ― 子安宣邦『「近代の超克」とは何か』を読む

2017-02-26 20:58:13 | 読游摘録

 本書は2008年に青土社から刊行されている。ここ十年の間に出版された「近代の超克」論の中で最も重要な研究の一つである。著者が博捜した戦中の文献類からの引用の中には、先行研究では取り上げられることがなかった資料も含まれており、それだけでも本書は「近代の超克」論をめぐる研究領域の拡大と深化に貢献したと言える。
 それらの引用の中には、正直に言えば、「この人までこんなことを書いていたのか」と、少なからぬ驚きとショックにも似た失望を覚えさせる文章や和歌などもあり、かなり重い気持ちを引き摺りながら、今日は本書を読んでいた。なにはともあれ、まずは1931年から1943年あたりまでの「時代の空気」を感じ取ろうと努めながら。
 本書は、しかし、戦中の「近代の超克」論だけを考察対象としているのではない。むしろ戦後の竹内好の「近代の超克」論及び日中近代化論を批判的に検討することを通じて、現代の地政学的文脈の中で新たに「方法としてのアジア」を構想する可能性を問うという、思想家としてのアクチュアルな問題意識がその根底にある。
 著者は、竹内好が1961年6月に発表した論文「日本とアジア」から次の一節を本書で二回引用している。

文明の否定を通しての文明の再建である。これがアジアの原理であり、この原理を把握したのがアジアである。[...]
 日本が西欧であるか、それともアジアであるかは、工業化の水準だけで決めるべきではない。より包括的な価値体系を自力で発見し、文明の虚偽化を遂行する能力があるか否かにかかっていると見るべきである。それが発見できればアジアの原理につながるし、発見できなければエセ文明と共に歩むほかない。(『日本とアジア』、ちくま学芸文庫、1993年、284-285頁)

 二回目の引用の直後になる本書最終章最終段落のほぼ全文を引いておく。

 しかしなぜアジアなのか。なぜアジアによる文明の否定と再建がいわれるのか。アジアはどのような意味でエセ文明の否定をいう資格をもちうるのか。これは私が最後に答えねばならない問題である。竹内がこの言葉を書いたとき、彼はまだ第三世界を構成しようとするアジア・ナショナリズムを見ることができた。それは創成期アジアがもった否定と創造の自立的運動であった。すでにそのようなナショナリズムを、現在のわれわれはアジアの背後に見ることはない。いまナショナリズムは、二一世紀のそれぞれの国家が負う世界体制的な危機と社会共同性の喪失と国民の亀裂から生まれ、一時的に統合の幻想を己れに与える自己欺瞞の運動でしかない。もはやナショナリズムの再生によってアジアが再生するわけではない。だが間違ってはいけない。アジアの再生が目的ではないのだ。アジアを目的とするところから、「東アジア共同体」がでっち上げられてくるのである。「方法としてのアジア」とは、否(ノン)というアジアをエセ文明への抵抗線として引くことである。問題はその抵抗線にいかにしてアジアはなりうるかである。それは植民地・従属的アジアから自立的アジアへと転換させた創成アジアの意志を、殺し・殺される文明から共に生きる文明への転換の意志として再生させることによってである。だか日本にその抵抗線を引く資格があるのか。それが最後の最後として残された問いである。私は戦争をしない国家としての戦後日本の自立こそ、わずかにこの抵抗線を引く資格をわれわれに与えるものだと答えたい。(253頁)