今日は一日、「近代の超克」論をどの角度から論じるか考えていた。でも、堂々巡りの繰り返しで、これといった成果なし。だだ、漠然と、その手掛かりの一つが美学の日本への導入のされ方の中にあるのではないだろうか、とは考えた。
十九世紀のロマンティスムの誕生を準備する十八世紀のちょうど半ばにバウムガルテンによって「美学」(Aesthetica)という新しい学問の名称が生まれたことは、藝術の諸学からの独立を決定づけるヨーロッパ精神史におけるきわめて重要な出来事だった。それまでは知的に不明瞭だとされていた感覚世界の認識が一つの学として自立を宣言し、美が感覚的認識の完成を表現するものとして「人間化」されたからである。それは、エルンスト・カッシーラーが『啓蒙主義の哲学』の中で述べているように、感覚的なものを知解可能なものに対して優位に置く知の秩序を主張する「哲学的人間学」を準備するものであった。西欧精神史におけるこの知的「激震」がその衝撃を伴わずに導入されたことが近代日本の精神史を特徴づけている。
でも、これは美学に限ったことではない。