明日の古典文学の授業のテーマは「叙景と抒情」。大岡信の『日本の詩歌 その骨組みと素肌』(岩波文庫、2017年、初版講談社、一九九五年)の中の「四 叙景の歌」の「一」をまず読ませる。この本は、もともと大岡信が一九九四 ・一九九五年にコレージュ・ド・フランスで行った講義のために日本語で書かれた原稿であり、その日本語原文がどうフランス語に訳されたか、その経緯については同書の「あとがき」のはじめに簡単に触れられている。大岡信がどのくらいフランス語が話せたのかは知らないが、仏訳者ドミニック・パルメの手によって見事に訳された仏語原稿を彼は講義の際に読み上げた。その訳文は「まことにすぐれたもので、朗読していて、原文は私自身の文章でありながら、終始みごとな翻訳に対する感嘆の念を押さえることができないほどでした」と記されている。確かに、その訳文は、大岡の日本語原文の意図を損なうことなく、読み上げやすいフランス語に訳されている。
「四 叙景の歌」という表題の脇には、「なぜ日本の詩は主観の表現においてかくも控え目なのか?」という問の形の副題が添えられている。その前の回の講義「奈良・平安時代の一流女性歌人たちの最後にとりあげられた式子内親王の歌を出発点として講義は展開されていく。
明日の授業では、式子内親王の歌「跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ露のそこなる松むしのこゑ」を大岡が読み解いていく箇所を読む。その後、私自身の仏語論文「心身景一如論」の要旨を述べ、叙景即抒情という日本詩歌の特質の一つについての私自身の考察を示す。さらに時間があれば、参考文献として田渕句美子の『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』(角川選書、二〇一四年)と竹西寛子『式子内親王と永福門院』(講談社文芸文庫、一九九三年、初版筑摩書房一九七一年)を紹介する。