万葉歌人たちが実際にはどのように自らの歌を表記したのか、そもそも作歌の際にどのような手順を踏んだのか、時代・場面・状況・身分その他の条件によって異なったであろうし、とても想像してみるのが難しい。
声に出して詠めば自ずと言葉の響きは心身と共鳴するであろう。しかし、いわゆる万葉仮名で一字一音で表記する場合、漢字の意味に即してそれに和語としての訓みを与える場合、漢文訓読語の場合など、それぞれの場合に引き起こされる意味と記号との複雑な相互作用はいったいどのようなものであったのであろうか。漢字を用いて表記するかぎり、当時の官人・歌人として当然身につけていたであろう漢籍の知識を完全に括弧に入れて、漢字を純粋な表音記号として扱うことはまず不可能であったろうと想像される。
昨日の記事で言及した家持の長歌(巻第十九・四一六〇)を岩波文庫版の原文表記で読んでみよう。
天地之 遠始欲 俗中波 常無毛能等 語続 奈我良倍伎多礼 天原 振左気見婆 照月毛 盈呉之家里 安之比奇乃 山之木末毛 春去婆 花開尓保比 秋都気婆 露霜負而 風交 毛美知落家利 宇都勢美母 如是能未奈良之 紅乃 伊呂母宇都呂比 奴婆多麻能 黒髪変 朝之咲 暮加波良比 吹風乃 見要奴我其登久 逝水乃 登麻良奴其等久 常毛奈久 宇都呂布見者 尓波多豆美 流渧 等騰米可祢都母
家持がこの通り表記したわけではないにしても、例えば、「宇都勢美母 如是能未奈良之」と「うつせみも かくのみならし」、「伊呂母宇都呂比」と「色もうつろひ」、「奴婆多麻能」と「ぬばたまの」など、両表記間の視覚的印象の懸隔は無視しがたい。しかし、逆にまた、表記がその語の意味と何らの関係もない場合、表記文字の意味を介さずに、漢字が示す音からいきなり詩的時空へと創作過程の回路は繋がっていたのかも知れない。
天地の 遠き初めよ 世の中は 常なきものと 語り継ぎ 流らへきたれ 天の原 振り放け見みれば 照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交じり 黄葉散りけり うつせみも かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変はり 朝の笑み 夕変はらひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
現代の私たちが万葉集歌を読むときには、原文をこのように漢字かな交じり文に置き換えるわけだが、語句の訓みそのものの違いの問題は措くとして、同じ語であっても、諸家によって漢字の置き換え方、漢字か平仮名かの選択も一様ではなく、その違いによってこちらが受ける印象も変ってしまう。上掲の家持の歌に関しては、表記にそれほど大きな差はないが、例えば、「常無きもの」と「常なきもの」、「振り放け見れば」と「振りさけ見れば」、「黄葉散りけり」と「もみち散りけり」などでは、やはり両者の印象は微妙に違う。
そのいずれが正しいか、あるいはそこまでは言わなくとも、より妥当か、というような議論はおそらく不毛であろう。むしろ、揺れる(あるいは「移ろう」)表記の彼方に、到達不可能な原歌がそれこそ「幻華」のごとくに揺曳するのを透視する試みを果てしなく繰り返すのが、万葉歌を今日読むときの愉しみの一つと言えるのではないかと私は思う。