『かぐや姫の物語』が公開された2013年の『ユリイカ』12月号は、この映画についての特集号で、その中の高畑勲へのインタビューについては、拙ブログでも、2014年8月26日、2018年10月20日の記事で取り上げた。
「草木国土悉皆成仏」という言葉がありますけど―別にみんなが仏にならなくてもいいだろうと思いますけど―、草や木や動物といったあらゆる生命はそれぞれの生をただ享楽すればいいと思うんですね。雨が降って楽しい、晴れて楽しい、花が咲いて楽しい…という享楽主義ですね。それは神様がいてその次に人間がいて…というキリスト教的なヒエラルキーのある世界観とは違うと思います。
それと3・11の震災があったので、余計にその思いが強くなりましたけど、積極的な無常観というものですね。仏教でどうとか、そんな難しいことではなく、日本の庶民はみんな十分に無常観を持っているです。なぜかと言うと、日本は災害列島だから。先日も大島で台風被害があったように、大震災でなくても毎年必ず何かしらかなりの災害が起こる。そんな危険なところに住まなきゃいいのにと思うけど、住んでいられるのはある種の無常観があるからです。何が起こるかわからない、しかし、何があっても生きていきましょうという強さがある。無常というのは絶望ではなくて、強さなんです。
ここで高畑勲が使っている「積極的な無常観」という言葉は、彼独自の生命観・自然観・世界観を集約した表現だが、その淵源を日本思想史上にあえて探すとすれば、それは仏教的無常観が浸透する前の生命観・自然観にまで遡るのではないかと思う。
この点については、昨年10月28日の記事「生命の顕現の思想 ― 日本文芸史が描いた最初の花のイメージ」を参照されたし。