内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『日蓮の手紙』(角川ソフィア文庫 2021年)― 一人の人を激励するには

2021-10-04 00:00:00 | 読游摘録

 昨日、日曜日、午前7時から9時半までの2時間半で24キロ走った。時間も距離も自己最高記録。ランニングシューズが違うだけでこれだけ結果に差が出るものなのかと驚く。1時間走ったところで、ちょっと不思議な感覚に襲われる。このままいつまででも走り続けられそうな気がした。実際、2時間走ったところでも特に疲労を感じるわけでもなく、まだまだ走れそうな気分であった。
 とはいえ、さすがに体は正直で、2時間半走って自宅に帰り着いたときには少しへばっていた。それにしても、身体能力というのは、その気になれば、私のような年齢になっても向上させることができるものなのだと実証できた。そのことが心身の健康にプラスに働く。毎月のランニングシューズへのささやかな投資はかくして十分にもとが取れている。
 レヴューを書きたいと思いながら、なかなか手がつけられないが、これはいい企画だなと思っている一書がある。角川ソフィア文庫の一冊として7月に刊行された『日蓮の手紙』(ビキナーズ 日本の思想 植木雅俊=訳・解説)である。今月20日までは、他の仕事は全部脇に退けてでも(実際にはそれはできない相談なのだけれども)集中したい原稿があり、その日までは、今自分の仕事机をバリケードのように堆く取り巻いている書物からの抜書きだけでお茶を濁すことになる。
 『日蓮の手紙』の植木雅俊氏による「はじめに」から引用する。

 日蓮の手紙の特徴は、相手に応じて文体や、文章、表現をガラリと変えているということだ。富木常忍のように学識豊かな人には漢文体の著作や手紙を与えているが、他の檀越や女性に対する手紙はいずれも和文体で仮名書きである。十代の若い時の南条時光には、漢字が少なく、ほとんど平仮名で書かれている。相手が読めそうにないなと思った漢字には、自らルビを振っている。文字が読めない人もいたのであろう。弟子の名前を挙げて、その人に読んでもらうように指示した手紙もある。
 日蓮は、檀越たちのそれぞれの情況に応じて手紙を書いた。従って、日蓮の手紙には、人生相談あり、生活指導あり、激励ありと内容が幅広く、日蓮は、時に応じ、機に応じて弁護士、教育者、心理学者、演出家、劇作家、戦略家、詩人、ネゴシエーター(交渉人)であるかのような多彩な文章を綴っている。それも、法門を型にはまって説明するのではなく、相手に応じて仏典だけにとどまらず、インド、中国、日本の故事や説話、歴史的教訓などを駆使して何とか分かってもらおうとする配慮に満ちている。
 子を亡くした母や、夫に先立たれた妻の悲しみに寄り添い、少年には父が子に噛んで含めるように語って聞かせるような文章を綴っている。信仰と、職場や親子などの人間関係との葛藤に悩む人には、きめ細かい現実的で極めて具体的な教示を与えていて、そこには精神論も、抽象的な答え方も全く見られない。
 一人の人を激励するにも、相手の身になって、その人の周辺の人間関係を押さえて、その人間関係の中でどうしたらその人が生きるのか、やりやすくなるのか―という視点からなされていることに気づく。

 引用しながら、私はフランスでの最初の師のことを思っていた。