内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

現代世界のトランスナショナリズムを古代日本の交易史から見直す

2021-10-25 04:11:41 | 読游摘録

 「トランスナショナリズム」という言葉をジャパンナレッジで調べてみたら、ちょっと驚いたのだが、見出しとしてヒットしたのは『世界大百科事典』のたった一件だけだった。幸い、その説明はかなり詳しく、それを読めば、およそどのような概念なのか解る。その最初の段落を引用する。

1960年代末ごろからJ.S.ナイやE.L.モースらによって提唱された概念で,国際社会を考えるに当たって従来の国家単位ではとらえきれなくなったために,トランスナショナルな関係 transnational relations(〈脱国家関係〉,〈民際的関係〉と訳されることもある)やトランスナショナルな組織 transnational organization の重要性の増大が指摘された。トランスナショナルな関係とは,ある国の民間の個人・団体と他国の民間の個人・団体あるいは政府との間で形成される関係のことで,その典型は,私企業間で行われる貿易や私人間の国境を越えた通信などに求めることができる。また,ある国の民間の個人・団体が他国の個人・団体とともにつくった組織をトランスナショナルな組織と呼ぶ。これらは,いずれも一国の枠をこえた関係・組織であるが,ある国の政府と他国の政府との間で形成される政府間関係 intergovernmental relations(外交関係はその典型)や複数国の政府によって構成される政府間組織 intergovernmental organization(国連をはじめとするいわゆる〈国際機関〉はこれに当たる)とは区別されている。また,一国の枠をこえた組織であるが,トランスナショナルな組織とも政府間組織とも異なる組織として,超国家組織 supranational organization という概念がある。これは,個々の国家よりも上位の権威をもつ組織のことである。現存する組織の中でこれに最も近いものとしてはEC(ヨーロッパ共同体)などの国際統合組織を挙げることができるが,もし将来世界連邦が建設されたとしたら,これは,典型的な超国家組織となる。

 この説明の中に出てくる英単語の中に三つの異なった接頭辞 trans-, inter-, supra- が使われている。この三者の意味の差異が transnationalisme という概念の特徴をよく理解させてくれる。「~を通じて」「~を越えて」が trans- という接頭辞が意味するところであるのに対して、inter- は「~の間」、supra- は「~を超えた」ということを意味する。つまり、国境を越えた当事者間の横断的・越境的・相互的流動性という性格がこの概念を inter- や supra- を接頭辞とする諸概念から区別している。
 トランスナショナル化あるいはトランスナショナル現象が現代世界を特徴づけていることは確かであり、国家と国境とを前提とした近代的世界像の枠組みの中にとどまるかぎり、現代世界の諸問題を捉えきれず、したがって、それらの問題への有効な解決策を見出すことができないことは、昨年来のコロナ禍によってだけでも誰の眼にも明らかとなった。
 そのような状況の中にあって、国家成立以前の古代史へと立ち返り、そこから歴史を見直すことが、より柔軟で懐の深い視角の中で問題を見直すためのヒントを与えてくれるように思う。そんなことを田中史生の『国際交易の古代列島』(角川選書 2016年)を読みながら考えた。同書のプロローグから引用する。

 現代は、人も財も国や地域の枠組みを超え、地球規模で行き来する時代。いわゆるグローバル化の時代である。情報技術の革新が、この流れを加速度的に進行させている。
 しかし、市場経済とITが牽引する今のこの大きなうねりには、戸惑いを覚える人も少なくないだろう。グローバル化の進展は、法やシステム、考え方や文化までも地球規模で流通させ、国境を超えた社会の「均質化」をすすめながら、その一方で、新たな支配秩序や中心―周縁関係をつくり出し、「格差社会」という一面も押し広げている。グローバル化に続けという威勢のよい掛け声とは裏腹に、反グローバリズムの動きが広がり、東アジアではナショナリズムが不気味に共鳴しあう。そんなに明確なイズムを掲げなくとも、昔のように国家の壁を高くして、壁の内側で一息つきたいと思う人はおそらく増えている。
 けれども歴史的にみるならば、財の交換を目的に結ばれた越境的な社会関係が、それまでの社会の枠組みや政治体制を大きく揺るがすといったようなことは、古代からはじまっていた。私たちが「現代社会の課題」と悩むグローバル化やボーダレス化には、古代にまでさかのぼる人間社会共通の問題が含まれているのである。
 本書は、日本列島に国家が誕生する古代において、財を獲得するための交易関係がどのように列島を越えて結ばれ、それが引き起こす社会不安や課題に古代人がどう向き合い、乗り越えていったのかを、通史的にみてみようという試みである。