内的自己対話-川の畔のささめごと

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鬼神を叱り飛ばす ― 『日蓮の手紙』より

2021-10-05 23:59:59 | 読游摘録

 以下、『日蓮の手紙』中の植木雅俊氏による解説の摘録と日蓮の手紙の一部の引用、及びその現代語訳である。
 弘安五(一二八二)年二月二十八日、日蓮は南条時光が大病で伏しているとの報を聞き、自らの病状も顧みず、筆を執って認めた手紙が「法華証明」と呼ばれる手紙である。和文体で真跡が遺っている。
 この年十月十三日に日蓮は入寂する。この手紙はその八ヵ月ほど前に書かれた。日蓮は弘安四年の春以来、体調が勝れず、身延の冬の厳しい寒さで病状を悪化させて新年を迎えていた。この手紙の三日前の二月二十五日に、日朗に代筆させて、南条時光の看病に当たっていた日興に病への対応を指示していた。それでも満足しなかったのであろう。二十八日になって、日蓮は、病を押して自ら筆を執ってこの手紙を認めた。
 この手紙には、南条時光を病気で悩ます鬼神に向かって叱責し、直ちにその病を治せと命じている箇所がある。その迫力は凄まじいばかりである。

又鬼神め(奴)らめ、此の人をなやますは剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこ、あなかしこ。此の人のやまいを忽になをして、かへりまほ(守)りとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして、現在に頭破七分の科に行はれ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとどめよ、とどめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。

また、鬼神のやつらめ、この〔南条時光という〕人を悩ますのは、〔お前は〕剣を逆さまにして呑む気か、過去・未来・現在の三世の諸仏や、四方・八方・十方に存在する諸仏の最大の敵となる気か。何と恐れ多いことであろう。恐れ多いことであろう。この人の病をただちに治して、逆にこの人を守る者となって、〔お前が受けることになる〕餓鬼道の大苦を取り除くべきではないか。そうでなければ、現在においては頭破七分の科をこうむり、後生においては大無間地獄に堕ちるであろう。〔南条時光を〕留めて末長く生きさせよ。末長く生きさせよ。日蓮の言葉を蔑むならば、必ず後悔することになるであろう。後悔することになるであろう。(植木雅俊訳)

 この時、二十四歳であった南条時光は、この病に打ち勝ち、元気を回復し、七十四歳の生涯を全うした。