内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

事物を「衝き破る(durchbrechen)」

2021-10-14 23:59:59 | 哲学

 今月20日締め切りの原稿のことをこの一月半忘れたことは片時もないと言ってもよいくらいなのだが、その原稿のために、今朝方明日の授業の準備を済ませた後は、マイスター・エックハルトの「衝き破る durchbrechen」(名詞は「突破 Durchbruch」)について調べていた。
 「衝き破る durchbrechen」は、エックハルトの神学思想の核心を直接示す語であり、初期から晩年までその思想を通底するテーマでもある。エックハルト以後、ライン川流域神秘思想を代表するゾイゼやタウラーによってもこれらの語は使われているが、初めて神学用語として用いたのはおそらくエックハルトである。
 しかし、今回この語について調べた理由は、エックハルトについて書くためではなく、この語の示す「突破する」「衝き破る」という動きがある一つの現代の哲学のキー・ノートになっていると考えてのことである。
エックハルトの初期の著作の一つである『教導説話』にこの動詞が出てくる箇所を相原信作の高雅な訳(講談社学術文庫 1985年)で引こう。

 かくも神を愛する人こそ神の前に善しとせられるところの人である。なぜなら彼は実に一切の物を神のものとして、すなわちそれらの物をそれらの物自体以上に貴重なものとして受取るからである。もちろんこのような境地にいたるには熱心と愛と、人間の内面への充分な洞察と、潑剌として真実に理性的現実的な認識―精神は事物や人間との接触においてこの認識に立脚すべきである―とが必要である。このようなものは逃避によって、すなわち事物を回避し外界から閑寂の所に逃れることによっては学得することは不可能であって、どこに居ろうと誰と一緒であろうと、人はぜひとも内面的な閑寂というものを学び取らなければならない。すなわち事物を衝き破って(durchbrechen)己れの神をその中に認得し、満身の力をこめてこの神を己の中に本質として形成することを学ぶべきである。(31頁)

 この引用の中にあるように、事物を回避するのではなく、事物の只中において事物を衝き破り、事物から脱却して自由になることで、内なる神へと段階的に回帰するのが「突破」であり、その突破の成就がとりもなおさず魂の裡での神の誕生であるというのがエックハルトの生涯のテーマである。しかし、それは中世の学匠に固有のものではなく、現代においてもテーマとして生きられ得るものではないだろうか。