来年2月の日仏合同ゼミの課題図書として新渡戸稲造の『武士道』を選び、9月から修士一年の学生たちと読みはじめ、今日の演習で第14章まで読み終えた。来週は休講、再来週一週間は万聖節の休暇なので、残りの最後の3章は休み明けの11月3日に読む。それ以降は、毎回、学生たち各自に自分でテーマを選ばせ、そのテーマについての日本語での発表練習に入る。
この合同ゼミのために武士道をテーマとして選んだからだけではなく、来年3月にストラスブール大学での開催が予定されている国際シンポジウムでも武士道について発表することになっているので、武士道に関する文献を渉猟しつつ、武士道の起源から近現代の武士道論に至るまでの歴史について自分なりに思想史的な見通しを立てる作業を夏休みからぼちぼちとやっている。
その作業の中で、新渡戸稲造の『武士道』についても、その位置づけの問題に解答を出さなくてはならない。そのために有用な資料には事欠かないが、昨日言及した Oliver Ansart の Paraître et prétendre : L’imposture du bushido dans le Japon pré-moderne もその一つである。
En fait, il faudrait ajouter que, souvent, les traités sur la voie des guerriers produits pendant l’ère Meiji étaient bien plus fantaisistes que la reconstruction de Nitobe. La plupart, à travers une description idéalisée de la moralité des guerriers des époques précédentes, visaient à inculquer dans les esprits du Japon nouveau un sentiment de désintéressement et de dévouement au pays, et surtout une loyauté absolue à l’empereur. Or, le souci de la nation et la loyauté à l’empereur étaient des notions inconnues pour la plupart des guerriers de l’époque des Tokugawa, au moins jusqu’au début du XIXe siècle. Nitobe ne partageait pas la ferveur impériale de ses critiques, et, en cela au moins, il était bien plus proche de la mentalité des guerriers de la période précédente, qui étaient censés n’avoir de loyauté que pour leur seigneur.
新渡戸の武士道論とその他の同時代の武士道論とを区別する際にこの指摘は重要だ。新渡戸の武士道論は、武士の忠誠論をそのまま天皇への絶対的忠誠論へと変換させようとする国家主義者たちによる武士道論とは明確に一線を画す。しかし、これは事の半面でしかない。なぜなら、新渡戸は、忠誠心を外面と内面とに分け、外面において主君への忠誠を尽くすことは、内面における絶対神への帰依を妨げるものではないという議論を展開するからだ。
これは彼がクエーカー教徒であったことと無関係ではない。新渡戸は、外的忠誠とは独立に内面における神への臣従が可能であるとすることによって、武士の忠誠論とキリスト教信仰の融和を図ろうとしている。しかし、天皇を絶対化する明治の国家主義の回避を可能にした新渡戸のこの議論は、内面的価値の独立とその普遍化という別の問題を引き起こさざるを得ない。