内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

回帰としての突破

2021-10-15 23:59:59 | 哲学

 今日の記事は昨日の記事への若干の補足にとどまる。『教導説話』の Gwendoline Jarczyk と Pierre-Jean Labarrière による仏訳 Discours du discernementLes traités et le poème, Albin Miche, 1996 所収)は、昨日相原信作の邦訳を引用した箇所での「事物を衝き破って」を « faire sa percée dans les choses » と訳し、以下のような脚注を付けている。

durchbrechen : terme caractéristique, chez Maître Eckhart, du mouvement de « retour » qui traverse les choses et opère une brèche dans la sorte de coupole (représentation cosmologique à la Ptolémée) qui enserre le monde et le coupe de son origine. Plutôt que de fuir les réalités immédiates, Eckhart affirme qu’un homme « détaché » les prend divinement, et opère en elles la « percée » qui lui permet de saisir Dieu à même les choses.

 エックハルトが「事物を衝き破る」というとき、それは、世界をその起源から切り離し、世界を覆っている天蓋に、世界内の諸事物を通じて突破口を作る「回帰」の運動を意味している。「脱却した」人は、直接的な諸現実から逃れるのではなく、それら一切を神の被造物と捉えることで、その内にあって「衝き破り」、そうすることでそれら諸事物において直に神を捉えることできるとエックハルトは言明している。
 このような世界像に新プラトン主義の色濃い影響を見る研究者も多い。それを真っ向から否定するつもりは専門家でもない私にはさらさらないが、個人的にはそう読んではつまらないと思っている。エックハルトに固有の表現世界があり、そこでの自在かつ巧妙な暗喩の操り方には他の追随を許さないところがある。