昨日の記事で取り上げた西垣通氏の一連の著作を読んでいると、現代の高度情報化社会が抱えている諸問題と様々な可能性について学ぶところが実に多い。立て続けに読んでいると、どんどん引き込まれ、知的興奮を覚える。
が、だんだん息切れがしてくる。時代から取り残されないためには、この調子でずっと走り続けなくてはならないのか。しかし、自分のような老いぼれにはもうそんな体力はないし、無理をしてまで時代について行きたいとも思わない。そう開き直りたくもなる。
それでもこれらの本を読むのは、担当する授業の中で現代社会の問題を取り上げざるを得ないかぎり、特にメディア・リテラシーという現代社会を生きるために必須の能力を身につけることを目的とした授業を担当する以上は、読まないわけにはいかないという義務感を覚えるからである。
ただ、必ずと言ってよいほど、その反動が来る。無性に古典が読みたくなる。洋の東西は問わない。昨日は、自分としては例外的に午前零時近くまで二時間ほど、プルタークの英雄伝『対比列伝』の仏訳 Vies parallèles(Gallimard, « Quarto », 2001)を読んでいた。古代ギリシア・ローマの人間たちの躍動に出逢える。