内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

語学上達に必要な自己訂正力はその他の分野にも応用できる

2024-02-12 17:32:06 | 日本語について

 外国語で話す場合、内容や場面やその他の条件にもよりますが、間違いのない完璧な表現を目指すことは、「百害あって一利なし」とまでは言いませんが、いわば自分で自分の首を絞めるようなもので、生産的ではありません。
 私が普段接している学生たちは、当然、さまざまな間違いを含んだ日本語を話すわけですが、私が担当する授業では、語学の授業ではないこともあり、あまり間違いを指摘することはありません。授業外で面接の練習をするときなども、まずは自由に話させます。
 かといって、間違いなど気にせずに、自分の話したいように話せばそれでいいのだ、と彼らに言いたいのでもありません。一定以上の期間に亘って何回も同じ間違いを繰り返す学生はだいたいろくに進歩しません。言葉に対して無神経であり、向上心にも欠けているのですから、当然の結果ですね。
 言語表現上の間違いといっても、いろいろなレベルとタイプがあり、しかも、内容や場面やその他の諸条件によって、許容される間違いの範囲も異なります。
 ただし、ここではプロの通訳の場合のような高度なレベルは対象外とします。二、三年の外国語学習経験があり、基礎文法は一通り習得し(たことになっていて)、日常会話および海外旅行で必要とされる最低限の語学力はすでに身につけている(と本人が信じている)場合に話を限定します。
 学生たちの間違いを観察していると、かなりよくできる学生でも、初級で習ったはずの初歩的な文法事項において、二年や三年になっても間違い続ける学生がいます。これは、多くの場合、その間違いをもう誰も指摘してくれなくなっているからです。間違っていても通じてしまう場合、教師もいちいち指摘しませんし、彼らの日本人の友人たちも、会話の進行のさまたげにならなければ、間違いをその都度指摘することはなくなります。
 ここで止まってしまうと、何年続けても飛躍的な進歩は望めません。つまり、その先に行くためには、自分で自分の間違いに気づけるようになる自己訂正力を身につける必要があるのです。
 ところが、これが実際にはなかなか難しいわけです。独力でこの壁を越えていくことができる学生もいなくはありませんが、そういう学生は放っておいても一人でやっていけるので、極端に言えば、大学で日本語など勉強しなくてもよろしい。
 では、学生が自己訂正力を身につけるためにはどんなアドヴァイスをすればいいでしょうか。私は語学教育の専門家ではなく、学習理論など何も知りませんが、自分の体験に基づいて、次のように指導しています。
 一回に一点だけ、次回からはその間違いだけは絶対にするなと命じます。その他の間違いについては一切指摘しません。その指摘する一点は、学生のレベルとその時点での直近の目的によります。単にある単語の発音だけのこともありますし、ある不適切な表現を別の適切な表現に置き換えるだけのこともありますが、他方では、文法的にちょっと高度な言葉の組み合わせに関する指摘をすることもあります。
 要は、ある一点に彼らの意識を集中させることです。一つだけならクリアするのもそう難しくはないからです。
 ただ、この指導法には大きな欠点があります。時間がやたらとかかることです。他にも無視し難い間違いがあるのに、とにかく一回一点しか指摘できないのですから。特に、学生の方が言われたことだけしかしない受動的な姿勢だと時間がかかります。教師がただ辛抱すればよいというものではありません。
 この指導法が実を結ぶのは、学生自身がこの一回一点の原則を自ら進んで遵守するようになるときです。こうなると、格段に進歩の速度が向上します。
 実は、これは語学力の問題ではなく、ちょっと大げさに言えば、知的能力の問題です。具体的に言うと、自分がどこで間違いやすいか、その傾向とパターンを自分で分析することができ、その原因を突き止め、その上で、そのような間違いを繰り返さないように適切な措置を自分で講じられる能力のことです。
 そして、語学において身につけた自己訂正力は他の分野にも応用可能なのです。このレベルに達したときにはじめて、一つの外国語を学んだ意味がほんとうにわかるのだと私は考えています。